「Fukushima 50」を見てきた

新型コロナウイルスの影響で、不要不急の外出が憚られる昨今。

僕の周りも自宅勤務になっている人が多く、取材で伺うイベントも参加者の数が予定の半分だったり、打ち合わせの時間をなるべく短縮するようお達しが出ているクライアントがあったりと仕事的にも様々な影響が出ている。

いくつかの小さな案件が飛んだけど、そこまでダメージが大きくないのが不幸中の幸い。

ただ、一部の仕事がなくなったり外出がしづらくなるというのは、僕にとって両方の翅をポキッと折られたようなもので、毎日の生活にハリが出ないのも正直なところだ。

さて、そんな中、昨日公開の映画「Fukushima 50」を見てきた。

原作は吉田所長はじめ福島第一原発事故の現場を知る100人以上の証言をまとめたノンフィクション。ストーリーは既に知っているので、あの話をどのように映像化したのかというのが、僕の興味をそそるポイントだった。

その点について言うと、原作を読んで脳内で作っていたイメージと映像とがここまでぴったりハマった映画はこれまでにない。無論、漫画じゃなくてノンフィクション小説が原作だから、舞台の再現はしやすかっただろう。

いわゆる再現ドキュメンタリーを見るつもりでいくと、最初から予想を上回る展開になるだろう。まずは、あのマグニチュード9.0の地震から始まるわけだが、もちろん東北の方々ほどではないにしてもあの異様な揺れを都内で感じた私ですら、あのシーンを見るだけで心が詰まる思いにさせられる。

そうして物語は初めから終わりまで息をつかせぬ怒涛の勢いで進む。おそらくコロナの影響もあって観客の数はまばらだったが、上映中の2時間余りの間ずっと、いろんな方向から啜り泣く音が聞こえてきた。

あの時、あの震災の混乱の中で、福島だけではなく日本全体の生活が未来永劫的に壊滅する危機が本当に迫っていたのだと背筋が凍るようなシーンもしばしば。

若者ウケを狙って安易に若手イケメン俳優らをネジ込まず、中年世代以降の実力派で固めたキャスティングにも作り手の意気込みを感じた。おじさん俳優たちの泥臭い演技が胸を打つ。男なのに火野正平に“泣かされる”とは思わなかった(笑)。ただ、良い意味を込めて敢えて言うと、あのラストの描き方はズルいよね、と。

あの状況で荒れ狂う原発と闘った彼らを海外メディアはFukushima 50と称えた。前例のない状況に直面しているのは今の新型コロナウイルスの流行と似ているところがあると思う。

学校に行く時間も目の前の仕事も、そもそも何者かに「与えられた」ものであり、それは急な災難によって「奪われる」こともある。原子力も科学の粋によってもたらされた恩恵だけど、ひとつの災害によって人々がコントロールできないものになる。時として、当たり前は当たり前のように進まないから、当たり前であるうちに後から惜しむことにならないよう、精一杯がんばらなきゃいけないんだと改めて感じさせられた作品だった。

今はいろいろ難しい時期だけど、人々の生活の余剰の部分で生業をしている身としては、この自粛ムードにジレンマも感じる。どうにかこの正念場を乗り越えて、早いうちに普通の日々が戻ってくることを願っています。

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