結局「水曜どうでしょう」ばかり見ている



もはや言わずもがな今年は自宅にいる時間が長くなった。ただ、かつてなら家に籠ればテレビかゲームかの二択だったけれど、今はいろいろな選択肢が増えて過ごし方はいくらでもある。

映画も音楽も配信で十分だし、本もKindleで買えば外に出る必要がない。YouTubeを見ていれば暇つぶしもできるし、人恋しければZOOMかなんかを使えば顔を見ながら話せる。

僕ははっきりした性格なので、旅ができないならとことん巣篭もりに徹する。できないことを追うくらいなら、割り切って別の楽しみを探した方がいくらか楽に生きられるだろう。ちなみに今年の年末年始は本を読んだり経営学系の動画を見たりしてナレッジの獲得に努めたいと思っている。

余暇を過ごすという文脈でいえば、サブスク配信で映画の旧作が見放題というのは大きい。わざわざお店までソフトを借りに行っていた頃と比べると本当に便利になった。そういえば最近、近所のレンタルショップが閉店した。トイレを借りたくて別の近所のレンタルショップに行った時も帰宅どきの良い時間だったのに客が一人もいなくて、時代の過渡期みたいなものを感じた。



我が家でもNetflix、Hulu、プライムビデオ、TSUTAYA TVといろいろ見られるようにしている。前に住んでいた広い部屋から持ってきたテレビは今の狭い部屋にはやや不釣り合いなんだけど、大画面で映画を見るとなかなかの迫力。ブラウン管の14型テレビにかじりつくように見ていた頃と比べると、これも豊かな時代を感じる瞬間だね。

でも、さすがにこれだけ自粛生活が続くとサブスクコンテンツも見尽くした。いや、見ていないものはまだまだあるから、自分に興味があるものを見尽くしたという表現が正しいだろう。春から劇場公開の延期が相次いで、新作映画が配信に降りてこないのも一因かもしれない。

見放題だからといって映画館でもレンタルでも絶対にお金を払って見ないようなものまで見ていくと、結果的に価値のない2時間を過ごすことになりかねない。それなら本を読むとか調べ物をして知識を獲得する時間にあてたり、こうしてブログでも書いて頭を働かせる時間に使ったり、新しい料理に挑戦してみたり、溜まった家事をこなしたり、その時間をもっと有意義に使った方がいい。選択肢が増えるというのは豊かになるということだけど、実際に選ぶのは自分にフィットするものだけなので、選択肢ばかりが多すぎるのもどうなんだろうと考えさせられる。

そして見たいものがなくなるとどうなるかというと、結局は好きなものだけを繰り返してみるようになる。それで最近はNetflixで「水曜どうでしょう」の旧作ばかり見ている。

サブスク配信の中には他にもいろいろな旅コンテンツがある。普通なら「おウチでも旅気分」みたいになりそうなものだけど、ただひたすら観光地の魅力を紹介するようなものは、ただ行きたくなるだけだから意外と見ない。でも「水どう」の旅モノだけは自然と見れちゃうから不思議だ。

なぜかって考えてみると、きっとあれは「旅」じゃなくて「移動」を見ているからなんだろう。観光地を巡るだけでなく、移動も楽しむのは僕の旅にも通じるシンパシー。その上で観光地の映像から伝わるものは「綺麗だな」とか「凄いな」とか一種の押し付けがましい印象を抱くけど、水どうの旅は出演する彼ら4人だけの体験で、僕は僕なりの移動の楽しみ方があるから、羨ましさみたいな感情とは切り離して見ることができる。

……ただ、そう言ってしまうと自分の仕事を否定してしまうところもあるのだが、こういう感覚があるからこそ、僕はどんな仕事でも自分の体感をどこかに忍ばせるようにしている。ただ見たものを当たり前に伝えるだけでは、きっと見る側の人も面白くないので。広く浅い共感よりは狭く深い共感を得たいと思って仕事をしている。そこだけは付け加えておきたい。

水曜どうでしょう。Netflixで見られるサイコロの旅も珠玉の面白さだけど、TSUTAYA TVで配信レンタルした2020年最新作もやっぱり面白い。この年末年始で2周目どころか3周目になるまで見てしまいそうだ。長い冬休み、ここも割り切って思いっきりゆったりするとしよう。

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