いま改めて考えたい「校閲者」という存在の価値


職業柄、街の中にあふれている情報の中に誤字・脱字があるとすぐに気付いてしまう。

飲食店の看板、スーパーのPOP、電車の中吊り、街頭でもらうチラシなど、一目見て何か違和感を感じると脳にシグナルが送られてきて、改めてよく見るとやはり間違いが見つかる。そのため、ネットニュースなんかをザッピングしていると、毎日のように誤字・脱字の海を見ているような感覚なのだ。

仕事の上ではメリットであるかもしれないけれど、見つけなくてもいい他人のミスを見つけてしまうという点では損な性質である。人というのは見つけたものは相手に伝えたくなる性分だ。例えば、取材の予習で取材先の公式ホームページの中に間違いを見つけることはよくあるが、それを相手に伝えても表向きは良い顔をするだろうけど、きっと裏ではあまり良い印象を残さないだろう。



自分が書く原稿も誤字・脱字が少ない方だと思う。そして、こうした精度を身につけたのは、主に会社員時代にプロの「校閲者」の仕事を見てきたからだと自覚している。

校閲者というのは、雑誌や書籍などの記事を出版・発行前に確認し、文章や使用されているデータの内容に謝りがないかをチェックし、起こりうるミスを事前に防ぐ仕事のことである。似た言葉に「校正」があるが、「校正」は誤字・脱字や表記の統一(漢字かひらがなか、など)をチェックする仕事に対して、「校閲」は内容の隅々までを確認し、怪しいところは資料を引っ張り出してきて調べ上げる。取材記事などでは出来上がった原稿を取材相手に確認してもらうことを「先方校正」などと言ったりもする。よって「校正」は編集の仕事の範疇に含まれるが、「校閲」については「校閲者」という専門のプロに任せることが多い。

某大手出版社に勤めていた頃は、エレベーターホールの一角に契約している外部の校閲会社行きのボックスがあって、そこに放り込んだ初校を巡回してくる配達員が運んでいくシステムだった。そして翌日にはチェックされたものが戻ってきて、それを他の赤字が入った校正原稿に転記していく仕組みになっていた。

誤字・脱字や表記の統一は「校正」の仕事だ…と書いたが、現実には校閲者も僕らより遥かに高度なレベルでそれらのミスを発見してくれる。そのほかにもチェックされた原稿の中には「この部分は前に出てきた話との整合性が取れていない」「この出来事が起きた年は正しいか?」「この言葉は社会的に適切な表現か?」「ノンブル(ページ番号)が抜けている」といったさまざまな指摘が、資料等から引き出された証明とともに書かれてくる。このプロフェッショナルな仕事には幾度となく助けられてきた。



そうした示唆を与えられることで編集者の方も慎重さを学ぶ。やがて自然と「これは正しい表現だろうか」「前後の内容にズレがないか」といったことを校閲者に見せる前に気付くようになる。直接的に対話をする関係はなくても、編集者と校閲者の関係は「生徒とコーチ」のような側面がある。校閲者と関わることで編集者の校正のレベルも上がるのだ。

昨今、ニューメディアと呼ばれるような媒体に関わっていて感じるのは、この「校閲」の仕事が軽んじられている点だ。確かにスピード感とコスト重視のウェブ業界にあって「校閲」という作業は極めて非効率的な工程である。おそらく古参のメディアでもネット版においては校閲者を通していないところがほとんどだろう。

ここで感じるのは、誤字・脱字をはじめとする表面的なミスが溢れることへの危惧よりも、校閲者に鍛えられていない編集者が当たり前のように増えることで、編集者自身の校閲・校正への意識が薄れていくことである。紙に穴が空くほど目を通して確認をしたか、チーム内でダブルチェックを通したか、果たしてそういう心がけがなされているか。そして、ウェブならばいつでも修正・削除ができるから正しいものを出すということよりもスピードが優先されている文化に危うさを覚える。

現に以前、とても複雑なデータを扱う“ほぼ丸投げな”執筆仕事で軽微なミスをしてしまい、編集の人から「クライアントに怒られたんでしっかりやってください」と叱責されたことがあった。僕からしてみると、自分が仕事にミスがあったことを反省する反面で、これだけ複雑な情報を扱うものに対してチェック機能が一切なく、さらに編集者がミスの責任まで執筆者に丸投げしていることが恐ろしく思えた。自分の仕事には責任は持つが、はっきり言って校閲者な役割と技術を内包できるほど自分はパーフェクトな人間ではない。

たまたま最近、某ネットメディアの記事が元プロ野球選手の容姿を揶揄して選手本人からの指摘で謝罪に至るケースがあったが、ああいうのも編集者自身が高い意識を持っていれば起こるはずもない一件だったと思う。

校閲というのは、情報産業のそれなりに長い歴史の中で培われてきた一つの文化だ。だからこそ、今もメディア産業に身を起きながら深く憂いている。それでは。

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