紙からウェブに移って思う、編集者の役割への或る私感

編集という仕事

紙媒体の古典的な業界からウェブ媒体の新規参入も多い業界に移ってくると、いろいろと違和感を感じることが多い。無論、郷に入っては郷に従うべきなので、大体は自分がアジャストすべき課題となる。

しかしながら、「ライター」という立場で案件に関わる際に「『編集』の仕事ってなんだっけ?」と首をかしげるケースは多い。いや、今やもうこれはウェブだからという偏見ではなく、クリエイティブ産業全体の問題なのかもしれない。



編集者、横文字だとエディターという職業。

その仕事は読んで字の如く「集めて編むこと」だ。世の中のニーズを察知して必要な情報を集め、そこから企画のベースを編み出し、それを実現するのに必要な人材を集めること。そしてライター、カメラマン、紙媒体なら印刷会社やデザイナー、校閲者、ウェブ媒体ならエンジニア、また広告関係の案件ならば自社の広告営業やクライアントの間に立ち、ひとつのプロジェクトを円滑にまとめること。

ある意味で「便利屋」でもありながら、その存在があることによって唯一無二のコンテンツが生まれることが健全な形だと思うし、編集者という“エンジン”のパワーによってコンテンツの品質はまったく変わる。裏を返せば、ライターとカメラマンが二人で直接話して解決していくような仕事だったり、編集担当が周りの話からのインプットを適切な形でアウトプットできないのならば、そのチームに「編集者」はいらない。言い換えれば、編集者は自分自身で自分の価値を生み出す熱量が必要だ。

もっと個々の役割が認められるべき?

しかしながら、昨今は「編集」という言葉の意味が非常に広義な形で便利に使われていると感じることがある。「ライター」として関わっているのに“ゼロイチ”から企画を任されたり、取材先と時間だけ伝えられて質問事項の指示がまったくなかったり、構成が送られてきてもそれが非常に現場無視の無責任なものだったり……、あ、これ以上言うと同業者批判になるね(笑)。

いわゆるキュレーションメディアのようなラフなメディアが登場してからライターを始めた人の中には、このあたりの役割の棲み分けをあまり意識せずに何でもかんでもがんばっちゃている人は意外と多いのではなかろうか。

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僕は「企画」を立てるのも「構成」を考えるのも「取材」にあたるのも「執筆」するのも、それぞれに別々の価値があると思っており、ひとつひとつの作業にそれなりの熱量を注ぐので、そこをごちゃ混ぜにされてしまってリスペクトがまるでないような仕事は「なかなかシンドいなぁ…」と思ってしまう。

本来の役割から考えると、“誤解”を招くような形で「編集者」を名乗る人が存在しているケースが多い。もっと本来の役割に合わせてポジションが細分化されるべきだと思う。

例えば、ウェブメディアにありがちな、記事の数とスピード感だけが命で、中身についてはゼロイチから外部に丸投げという人は「編集者」ではなく「編成者」と名乗るべきだろう。

また、ブログメディアのような媒体で、外部のライターが作ってきたものを取捨選択してリコメンドに上げるような仕事は、きっと「編集者」ではなく「キュレーター」だ。



もっとも、今では「メディア〇〇」とか「〇〇エキスパート」とか何の仕事なのか曖昧なポジション名の方も多いので、誤った細分化はさらなる誤解を生む可能性が高い。でも、役割をはっきりとさせることで、良くも悪くも便利さの中で一緒くたにされてしまっている業務それぞれに価値があるということが改めて認識されると思う。

例えば、企画まで担うライターが「企画兼ライター」という立ち位置に変われば、「企画」という働きの価値がより鮮明になるだろうし、チーム内の地位や報酬面も自ずと改善されていくだろう。

「編集」という仕事に愛着とこだわりがあるからこそ、その言葉の意味がおびかされないようであってほしいと思い、今の思いを簡単にまとめてみた。今後もこういう気付きがあったら少しずつ綴っていきたい。終わり。

【about me…】

鈴木 翔

静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済などノンジャンルでありオールジャンル。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。

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