僕が感じるオリンピック開催の意義
東京五輪も前半の競技が終了。後半も引き続きサッカー、野球などの熱戦が期待されるほか、陸上やレスリングなど、日本のメダル獲得が期待される競技が残っている。
さて、賛否入り混じる今回のオリンピックを家に籠もって見ていると、ふと「オリンピックを開催する意義って何だろう」と真面目に考えることがある。
スポーツの祭典、平和の祭典、極限まで鍛えたアスリートたちの究極の戦い…など月並みな言葉はいくつもある。ただ、もちろんそういうことにも意義を感じながら、個人的に五輪というのは「大会に関係する人たちの人生を鑑賞し、自分の人生を見つめ直す機会」にも感じる。
メダリストの人生や感動話はいたるところで自然と耳に入るので、そうした情報を積極的に手に入れようとは思わない。その一方で特に今大会の場合は、たとえメダルに手は届かなくても、日本にルーツを持つ選手や関係者の生き方に思いを重ねることが多い。
柔道・ブラジル代表のように日系移民の子孫の選手たち、両親の片方が日本人で2つの国旗を背負って戦うアスリートたち、そしてサッカー・メキシコ代表のコーチや野球・イスラエル代表のコーチのように「こんなところに日本人」的な経歴を歩んできた関係者など、複雑な背景を持つ人々がこの東京五輪に辿り着いた意味を考えると深い感慨がある。
個人的には日系移民の選手たちへの思い入れは強い。今から10年以上前、当時の職場の出張でパラグアイを訪れた際に日系移民の村で数日間を過ごした。そこは鳥居のある神社やしっかり整備された野球場もあって、大地の色が赤いことを除けば日本の田舎にそっくりな風景。若い頃に南米へ渡ってきた移民一世のおじちゃんおばちゃんは「よく来た、よく来た」と、まるで親類を迎えるように歓迎してくれたのを思い出す。
何より驚いたのは、当時の僕と同年代だった2世、3世の若者たちが話す日本語の綺麗さだった。たぶん日本の若者言葉に慣れてしまった僕たちよりも美しい日本語。言語というのは民族のアイデンティティにとって最も重要なものだ。パラグアイで生まれた彼らの多くが日本の地を踏んだことがないことを思えば、ただそれだけで親世代の人々が「日本語」をいかに大切にしてきたかが伝わってきた。
さらにその夜。泊めていただいた家の本棚に日系移民の記録がまとめられた手作りの冊子を見つけた。そこに書かれていたのは、日本から南米に渡ってきて、最初は小作農のような仕事を転々とし、草木の育たないような土地を与えられ、考えられないような努力でそこを開拓したり、また新しい場所を探し求めたりして安住の土地を目指した人々の歴史だった。そこには僕たちの祖父世代が生きてきた歴史とはまた違う苦労があって、部屋で一人、涙が止まらなかったのを覚えている。
柔道のブラジルチームの選手陣のように、日系移民を祖先とする選手が自分のルーツとがある国発祥の競技にどう出合い、どのような思いで取り組んでいるのか。さらに祖父世代や親世代の故郷である日本の地を踏む思い。そんなことを考えると彼らの背景にドラマが見えて感動を覚える。
そして彼らだけではなく、二つの国を背景に持つ選手たちにしても外国チームで活躍する日本人コーチにしても、おそらくその大勢が何らかを扉を自らで切り開いて五輪という舞台にたどり着いた人々だ。その勇気に感銘を受けるし、一方で「自分は彼らのようにがむしゃらに生きられているだろうか」と問いを突きつけられる。
確かに五輪はスポーツの祭典ではあるけれど、その祭典を見ているのは純粋なスポーツファンだけではない。翻せば、オリンピックを観る人々は純粋に競技そのものを応援しているだけではなく、競技者の人生や生き様など彼らの背景にあるドラマも含めて応援をしていると思う。そこから何か力をもらって、自分の目標につなげる。
まさにコロナ禍で大変な時期、果たしてスポーツだけが特別でいいのかという声もある。確かに、そうした意見も理解しながらも五輪に競技そのものを超えて広がる力がある。そこに今回のオリンピック開催の意義があると僕は思う。