ラグジュアリーホテルはビジホより上? 価値のヒエラルキーは目的次第

ちょっと前の話になるが、東京五輪開会前に開催への反対意見が飛び交っていた時のことだ。来日したIOCのバッハ会長に対して、元IOC理事の識者のこんな発言がネットニュースになっていた。

「バッハ会長はビジネスホテルに宿泊を」

記事の中身を見ると「IOC貴族は大会期間中だけビジネスホテルに泊まって庶民の気持ちを知るべきだ」ということらしい。この人に対して個人的な好き嫌いはまったくないし、IOCの幹部を擁護するつもりもない。ただ、この見出しだけ独立して意味を捉えると僕の中でアレルジックな感情が湧く。

果たしてラグジュアリーホテルはビジネスホテルよりも価値が高いのか?



なぜなら物事の価値を決める指標は「金額」だけではないから。ラグジュアリーホテルが上でビジネスホテルが下だと勝手なヒエラルキーを作って語ってくれるなと。その上で、この言葉はビジネスホテルという業種で働く人たちへのリスペクトを欠いているようにも感じた。


僕がそんな感情が抱く原点は自身の会社員時代の経験にある。僕は10年近い社会人生活で同じ出版業界の中を何社か渡り歩いたけれど、新しいところへと移るたび、必ずそれぞれの上司や先輩から「君は〇〇みたいなものしか作ったことないからね」と前のキャリアをディスられてきたからだ。

そういう言葉が出る傾向は、新卒採用でそこしか知らない人とか、中途採用であってももう何年もそこの企業にどっぷり浸かってしまっている人に多い。自分たちのやり方が絶対に正しく、自分たちが作っているものがヒエラルキーの頂点のように思っているところに、外様で入ってきたとしては違和感を覚えた。

まぁ、そこしか知らない社員の立場に立ってみれば、どんな経験を積んでいるか詳しく分からない人間を扱うのはちょっとした恐ろしさがある。資格や試験で実力が測れないような職業ならなおさらだ。こいつは自分よりデキるかもしれないって思ったら「君は〇〇みたいなものしか作ったことないからね」と部下や後輩に敗北感を植え付けて服従させておいた方が都合がいい。

しかしながら、井の中の蛙になっていると気付かないだろうけれど、いろんな経験をしている人間は媒体の価値やヒエラルキーなんて読者が置かれた状況と目的によって変わることを知っている。

例えば、知らない街を歩こうとする時に週刊誌があっても何のガイドにもならない。ゲームを攻略したい時に数学の教科書があってもまるで役に立たない。パソコンの勉強をしたい時に芥川龍之介の小説があったところで何ひとつ学ぶことはない。キツい言い方をすれば、君(上司や先輩)が“世界の宝”だと信じて作っている本も必要ない人にとってはタダのゴミだ。

……なんてことはもちろん本人には言わなかったけれど(笑)。常にそれに対する謙虚さを持っていないと、きっとどこかで足元をすくわれるぞと僕は思っていた。むしろ、どんなものを作っていても、そこに懸けている熱量とか思考の緻密さとかそういったところの方に価値があり、先輩であっても後輩であっても、そこで人を見るようにしていた。

ホテルにもそこに通じるところがあるだろう。ラグジュアリーホテルもビジネスホテルも安宿ホステルもそれぞれに異なる価値があって、かかる手数は違えど、それぞれが誰かの働きによって支えられている。僕が考えすぎなんだろうけれど「あんたなんてビジネスホテルに泊まればいい」みたいな言い方はビジネスホテルに対して失礼である。



ちなみに、僕は社会人の頃にそんなに多くの後輩や部下を持ったわけではないけれど、数少ない彼らに決まって言ってきたのは「ここだけで使える人間になるな」ということだ。一ヶ所の仕事しかできない人は別のところに移れば「君は〇〇みたいなものしか作ったことないからね」の恰好の餌食となる。だから、ひとつひとつの作業の中で自分なりに考えながら1だけではなく3つとか5つのことを覚えて欲しいと思っていた。上から指示されたことを従順にやるだけではなく、自分で考え抜く熱量を持って欲しい。そして自分で考える力を身に付けた人はどこに行ったとしても強いから。

今回も取り止めのない話になってしまった。どんなことにも裏には必ず誰か働きがある。そういうことにリスペクトを感じて言葉を紡げる人間でありたい。おわり。

おすすめ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA