【SPICE】上野の森美術館・深堀隆介展「金魚鉢、地球鉢」の感想と子供時代の口癖の話
イープラスさんのメディア「SPICE」にて、上野の森美術館で開催されている『深堀隆介展「金魚鉢、地球鉢」』の展覧会レポートを書かせていただいた。
↓取材記事はこちらから↓
見渡すかぎり金魚、金魚、金魚! 金魚絵師の超絶技巧等が約300点 深堀隆介展『金魚鉢、地球鉢。』を鑑賞
内覧会で実際の展示を拝見させていただいた感想をまとめたもので、当日は深堀さんご自身も来場していたので簡単にお話を伺わせていただき、その内容も交えて一本の記事にした。作家さんが現役のモダンアートの展覧会は、作品と対話しながら記事をまとめるだけだけではなく、作家ご本人と対話できるところが面白い。
“やり直しがきかない”作業の末に生まれる超絶技巧の金魚アート
深堀さんの作品は、彼が独自で編み出した「減面積層絵画」(2.5D Painting)という技法によるもので、何らかの器の中に流し込んだ樹脂の層の中にアクリル絵具で絵を描きこんでいく。これに金魚という題材を組み合わせることで、さらに至高を極めたアート作品が生み出されている。
話を伺って特に感心を抱いたのは、この技法はやり直しがきかないというところだ。油彩画や水彩画ならば一度塗ってしまったあとでも上から別の色を塗ってリカバーできるが、深堀さんの作品はそうはいかない。一度描いてしまえばやり直せないし、一旦はいいと思ったものも樹脂を載せてしまえば作家本人も後になって手を加えることができない。
そもそも樹脂を流して固まるのを待ち、その上に絵を描いたら再び樹脂を流して固まるのを待ち…の連続なので一点の制作にかかる時間が長い。会場では制作工程の様子が動画で紹介されているが、器を前に黙々と作業に打ち込む姿はいつしか取材した漆塗りの伝統工芸士などに通じる雰囲気がある。深堀さんは自身の技法はまだ完成に至っていないし、後進となる人を育てていきたいといったが、これだけ集中力求められる技術を継ぐのはなかなかタフなマインドの持ち主でなければ難しいだろうと感じた。
展覧会の様子はSPICEさんの記事を読んでください。そして興味を持ったら展覧会を見に出かけてみてください(レポート書く身としては、読んで満足されるのではなく実際に足を運ぶきっかけになってくれるのが一番の本望だ)。
僕の原風景の中にもある金魚の思ひで
ところで金魚と聞いて何だか自分とも無関係じゃないなと親和性みたいなものを感じていたのだが、そのしこりみたいなものは何だろうと記憶を探っていたら、そういえば物心つくかつかないかの頃の自分の口癖…というか持ちネタが「おきんぎょ」だったのである。
今ではぼやきと憎まれ口しか叩かない僕も、昔は末っ子で周りからかわいいかわいいと言われて育ってきた(自尊心)。
まだ2歳とか3歳の頃、兄と姉が学校や幼稚園に行ってしまうと遊んでくれる人がいない。当時は母親も内職をしていたので、家にはいてもずっと遊んでくれるわけではなく、祖父母も畑作業で忙しかった。それなので決して放置ではなかったが、身の回りで何か面白いものを見つけて一人で遊んでいることが多かった。
庭と畑がある家だったので、兄姉のお古の三輪車に乗ってぐるぐる移動できる範囲は広かった。それで母親が作業している軒先に表れるたびに愛車にまたがって言っていたのが「おきんぎょ」のセリフだった。
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自分ではかすかに残っている程度の記憶なので、なぜ「おきんぎょ」と言っていたのかは分からない。ただ、生まれた家の近くには防災用の小さな用水があって、落ちたら危ないから近づいてはいけないと言われていたそこに金魚がいた。近所に子どものいる家はウチしかなかったので、おそらく我が家の誰かがお祭りの金魚すくいですくってきた金魚をそこに放出したのであろう。
小学生になって犬を飼うまでペットはいなかったから、初めて身近に感じた生き物が金魚だったのかもしれない。そこが見えないほど暗く、人が落ちたら危険だからと網が張られ、大人から「危ない」という意識を植え付けられた用水だったが、金魚を見に行くのが楽しみだったのを覚えている。とにかく「きんぎょ」ではなく「おきんぎょ」と、わざわざ「お」を付けていたのだから、自分にとって大切な存在であったのは間違いない。
家族旅行の時はいつも“にくかった”
もうひとつ、同じ頃の持ちネタに「にくい」というのがあった。
これは「憎い」ではなく、座る時に狭いと感じたことをなぜか「にくい」というから言葉を使っていた。地元の方言とかではなく僕だけの表現だ。
僕は3人兄弟の末っ子なので、家族でどこかに出かけるとなると、必ず後部座席の真ん中が指定席だった。両サイドには兄と姉が座っている。ただでさえ狭いのに二人が遠慮なくドーンと座るので、家庭内ヒエラルキーが最下層の末っ子はさらに窮屈な状況に追い込まれる。その困窮の中で捻り出される魂の叫びが「にくい、にくい」だった。
家族からは「にくいじゃなくて、せまいでしょ」と言われていたが、いま思うと彼らは僕から「にくい」を引き出すために、わざと窮屈にしていたような気がする。要はからかわれていたのだ。そんな生い立ちを思えば、ぼやきと憎まれ口ばかり叩く大人に育ったことが我ながら腑に落ちる。
ちなみに、そんな立場で育ったため、ちょっと遠方の高原に出かけて車酔いにあった際、遠出で初めて助席に乗れた時のあの喜び、そして気持ち悪さは今でも忘れない。
今もぎゅうぎゅうの満員電車に乗ったりすると「にくいな」って言葉が頭の中に浮かぶことがある。
さて、2021年も年の瀬がやってきたが、幸運なことにまだ少し作業が残っている。そして昨年に引き続いて帰省には慎重ムードがあり、そうでなくても人と会うという文化自体が冷めてしまったから、これといった年末年始の予定は決まっていない。去年のように湾岸の片隅で一人迎える正月もつまらないので、どこか雪の見える景色を見ながら旅の道中で年越しを迎えるのも悪くないなと思っている。
最近サボっていたブログも年末年始を使ってちょいちょい更新していくつもりです。それでは。
【about me…】
鈴木 翔
静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済など様々。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。