大雪の日、増上寺で川瀬巴水の名作「芝増上寺」をオマージュした写真を撮ってみた

大雪により芝大門で足止めを喰らう

三ヶ日を過ぎて、ゆるゆると仕事始めを迎えているが、どうもまだ休み明けのだるさが抜けない。

昨日は朝から雪の予報だった。ちらっと外を見ると朝からとても寒そうな感じ。これから六本木で取材があるんだけど、こんな寒そうな中を自転車で行くのはツラいなぁ…と思いながら渋々外に出た。



六本木で用事を済ませて外に出る頃にはちらちらと雪が振り始め、自転車を漕いでいるうちにやがて本降りになった。さらに昼食を済ませて自転車を漕いでいるとさらに大粒の雪に変わり、こりゃたまらんとイートインのあるコンビニに避難した。

東京に雪が積もるのは、まったくないとは言わないが珍しいことではある。雪が降ると街も普段とは違う表情に変わるから、そうなるとカメラマン魂がくすぐられなくもない。ついでに取材帰りなので、幸いカバンの中には愛機の一眼レフが入っている。

それでは何を撮りに行こうか…。やらなきゃならない作業も詰まっているので特別にどこかへ行くことはできない。今いるのは六本木と勝どきの間の芝大門近辺だ。

大門 雪 風景

あ!

ひとつあることを閃いて増上寺に向かった。

“最後の浮世絵師”が東京を描いた代表作

思い出したのは、ある一枚の絵のことだった。しかもその絵は年末に閉幕ギリギリのタイミングで行ったSOMPO美術館の「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」展で見たばかりの作品だ。

東京二十景の中の一枚『芝増上寺』。芝で生まれ育った巴水が地元の増上寺を描いた作品は何点かあるけれど、その中でも…というか、巴水作品の中でも最も有名な作品のひとつである。ネットで探してみたらパブリックドメインの画像が見つかった。

この作品ですね。昔の東京の風景としていろんなところに出てくる作品のひとつで、江戸みやげなんかにもよく使われているモチーフなので記憶にあるという人もきっと多いはず。

赤い建物は増上寺の三解脱門。門前の景色は変わったけれど、三解脱門は残っているので、雪の中の同じ風景が撮れると期待したのである。



かくして増上寺三解脱門前にある横断歩道の端っこでブルブル震えながらシャッターをきった一枚がこちらだ。

命名『芝増上寺 令和四年賀正』

門に向かって右側の横断歩道前に立って構えると巴水の絵とほぼ同じアングルで撮れる。絵に描かれているような松の木はない。ただ背後の公園には様々な樹木があるので、当時もこの画角に入る木はなかったけど、演出として組み入れたのかもしれない。いずれにせよ現在はたまたま電灯の柱が近いポジションに立っている。

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巴水が描いたのは大正14年(1925)のことである。当時に比べれば門前の道はコンクリートで舗装され、増上寺の後ろには高いビルが立っているが、巴水の描いた画角とほぼ変わらない三解脱門の景色が今も見られることがわかる。

2枚を並べて見比べてみよう。

主に大正から昭和にかけて活躍した比較的近代の画家なので、当時と近い風景が残っていたとしても何ら不思議ではない。ただ、戦争を経て、当時とほぼ変わらないような景色がいくつ残っているだろう。

ちなみに東京でも指折りの名刹とあって、この日の境内には僕と同じように一眼レフカメラを持っている人がたくさんいた。白銀に染まる大殿やその背後に立つ東京タワーを借景とした風景を撮っている人はたくさんいたが、果たしてこの巴水の描いた一枚を思い出した人はどれだけいるだろうか。ずっと印象に残っていた景色を写真に収められたのは、ひとつの僥倖だったのかもしれない。

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鈴木 翔

静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済など様々。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。

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