ガチの静岡県民がきっと知らない? 静岡県人あるある

故郷への思ひ。

昨日、宮崎県沖の日向灘を震源とする最大震度6弱の地震が発生した。春に熊本に10日ほど滞在し、南阿蘇村にできた熊本地震の震災ミュージアムを訪れたばかりの僕も心配が大きな状況だが、今回の震源が南海トラフ想定震源域に含まれるため、今後2週間ほどは東海から九州までの太平洋沿岸部周辺を震源とした巨大地震が起こる可能性が高まっているそうで、僕の出身地である静岡県もその範囲に含まれており、しばらくは緊張が続きそうだ。



静岡県民は防災意識が高い県民性だ。なぜなら全県民が子どもの頃から「今後数十年間のうちに東海地震が起こる」と言われ続けて育ってきたのである。恐怖を植え付けられて育ったといった方が正しいかもしれない。どこを震源に、どれくらいの震度の地震が来るのか、詳しく教えられたかどうかは覚えていないが、とにかく大地震がやってくることは、ノストラダムスの大予言(ネタが古い)的な世界の終わりがやってくることと同意くらいのインパクトとして地震の恐怖を叩き込まれてきたのだ。

東京に巨大地震がやってくると?

東京暮らしが長くなった僕は、もう静岡県民ではなく静岡県人ということになるのだろうが、故郷を離れても、地震に対する大きな恐怖は頭から離れない。今暮らす東京も首都直下型地震が発生する恐れが叫ばれているが、ごく個人的な範囲だけで話をすると、僕だけが被災する東京の巨大地震よりも家族はじめ親族のほぼ全員が暮らす静岡県の巨大地震の方が、今だに発生の心配が数倍大きい。

こちらに暮らしていて大きな地震が起きた時は、そのことを深く実感させられる。地震が起こって揺れが収まるのを待つ間、僕はいつも「きっとここが最大震度ではないだろう」と地元への心配が頭を過ぎる。同時に背筋にスッと冷たいものが走る。そして揺れが止まった後に急いでリモコンを探してテレビの電源を点ける。

自分の不安が当たらないよう、ここが最大震度であってくれと、祈りながら、震える気持ちで。


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東京に来てから経験した最も大きな地震は、東京23区でも震度5強を記録した3.11の揺れだった。あの時も自分のことより地元の心配が先に立った。当時は飯田橋にある会社に勤めていて、そのオフィスがあるビルの3階で揺れが起こった。ぐらりぐらりと体感で3分以上は続いた揺れの中、先輩に促されるまま緊急通路の確保に努めながら心はそこにあらず、「ヤバい、ついに来てしまった」という強い恐怖に怯えていたことを今だから正直に言える。



当時はたまたま僕のデスクの横にブラウン管の小さなテレビがあり、揺れが収まって戻ると上司や同僚全員が僕の席の周りに集まっていたのだが、自分の席までのわずか数メートルが、現実から目を逸らしたいという思いでとてつもなく遠かったことを覚えている。そして、それからニュースで地元が震源ではないことを知るわけだが、無論、その後にテレビに映される映像を見て複雑な気持ちに襲われたことは言うまでもない。

これ以上、九州の被害が広がらないことを祈るとともに、故郷・静岡への思いも募る。静岡と東京という近接した位置関係から起こる感覚であるが、静岡出身者であればきっと、地震が起こるたびに同じような不安を抱く人は多いのではないだろうか。たぶんこれは、ガチの静岡県民も知らない静岡県人あるあるであり、郷土愛の表れといえよう。

【about me…】

鈴木 翔

編集者・ライター(フリー)。静岡県生まれ、東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済などノンジャンルでありオールジャンル。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。

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