緊急事態宣言で時短営業。東日本大震災の経験から思う「果たして僕は“冷たく”なれるのか」

咋年末を境に感染症の危機的ムードが最高潮となり、テレビだけでなくSNSでもそこら中で怒りが渦巻いているので、プライベートではパソコンやスマホからちょっと距離を置きたい気分になっている。今もなかなか気分が浮かないけれど、日々の生活の中で感じたことや気付いたことを少しずつ綴っていこうと思っている。

さて、まず大前提として今日の話は僕の個人的な思いだ。誰か他人を責めようとか反論を述べようという話ではない。置かれた状況は人それぞれで、何が答えかわからない状況の中で「普通」を押し付ける世の中も怖い。こうした状況だから、人に迷惑をかけないようマナーをしっかり守っているが、協調を重んじる一方で人それぞれの個人的な思いや考えを尊重する気持ちも大切だ。



年明けから2度目の緊急事態宣言に入っている。国が該当地域の知事たちによる要請に押し切られて決まったかのように見える今回の緊急事態宣言。経済状況を大きく悪化させることが明らかなこの厳しい措置を行うことと“引き換え”に、国は域内の飲食店に対する「午後8時閉店」の徹底を求め、新型インフルエンザ対策特別措置法の改正案には時短営業等の求めに応じなかった場合の罰則も盛り込まれた。

緊急事態宣言の発出については賛否両論あるのでここで余計な言及は避けたい。ただ、20時閉店というのは、特にお酒の提供を中心とする店にとって文字通りの死活問題で、これまでも散々あおりを食ってきた飲食業者にとっては経済的な打撃だけでなく、働く意欲すら失いそうな状況だ。去年の春以降、それぞれのお店が行政を信じて様々な対策を講じてきたと思うが、この今の飲食狙い撃ちな状況を見ると、飲食業者の怒りが渦巻くのも無理はないと感じてしまう。

年末年始、僕は“都心の孤島”みたいなこの勝どきのマンションに籠もり、スーパーに行く以外はほぼ自宅にいる生活を送っていた。ただ決して、どこかの偉い人が「この年末年始が正念場」というのを聞いて従順にステイホームを守ったわけではなくて、年の瀬まで奮闘されている医療現場の人たちのことを思うと気楽に外に出る気分にならなかったというのが本音かもしれない。

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しかしながら、一人で考える時間が増えたこともあるが、こうしたさらに厳しい状況になってみて、ふと「果たして僕はこのまま、ただただ静かにしているだけでいいのだろうか」というジレンマみたいなものも抱えている。

そもそも僕らみたいな商売は「情報を作ってくれる人」によって成り立っている。メーカー企業がイノベーションを起こしたり、商社などが外国の珍しいものを輸入したり、飲食店があっと驚くサービスを始めたり…、そうしたものに対して、伝えたい人と読む人の間を媒介する役割として僕らの存在意義がある。つまり、人の生活の余剰の部分にある仕事なので、たとえ無くなったとしても世界は何の問題なく回り続ける。

自分で自分の商売をそういってしまうと悲しくなるが、そういうことに気付かされたのは東日本大震災の経験だ。地震があった3月11日は、その当時、編集部にいた情報誌の校了日だった。校了作業に追われ、ただ無言でデスクに向かっている時にじわじわと伝わり始めた振動は、都内であっても僕が過去に経験したことがないほどの揺れだった。

近くの人の咄嗟の判断に促され、地震で非常口が塞がらないよう扉が開いた状態を守りながら、少し小高いところにある市ヶ谷のビルから見下ろす街は、蜃気楼のようにゆらゆらと揺れていた。静岡に生まれている身としては、子供の頃から東海地震の恐怖が嫌というほど染み付いているので、揺れている間、これは明らかにここが最大震度ではないと感じ、とうとう起きてしまったか…と自分の家族の身のことを案じてしまったのは、その後の展開を知れば軽率だったというほかない。

あの日は金曜日だったので、緊急的な措置でその日の校了は週明けに遅らせることになったが、週末の二日間で状況は悪化の一途を辿り、月曜日にはさまざまな物事が中止になった。校了を迎えた号はどうにか発売に至ったものの、掲載されている情報の9割くらいが“使えない情報”になった。

それから3ヶ月くらいは、全国的な自粛ムードによってあらゆる“楽しいこと”が否定された。取材に出られるようなイベントはすべてなくなり、エンタメ業界やメーカーなど普段情報をくれる産業も新しい活動をストップした。何より「楽しむこと」を求めて取材に出ること自体が不謹慎という状況が生まれた。余談ながら、それでも自己矛盾を抱えるような中で一号も休刊せずに雑誌を出し続ける道を模索し続けた当時の上司たちは、今思えばたくましかったと思う。

それまでは毎日のように取材に出ていたのが、ずっと社内に貼りついた状態になり、卓上でできる仕事をこなす日々。掲載のお願いで情報を持ち込んでくれる人もいなくなったし、リサーチをして面白いものを探そうにも、そもそも時世的な影響で楽しいものなんて落ちていない。つまるところ、そこで感じたのは「情報を作ってくれる人がいなければ、僕たちは何もできない」という無力感だった。



今はその時のことを思い出すような状況だ。たとえ行政から時短協力金で生活は守られても、世の中に自分のサービスを提供することで稼げないという今の状況は、商店主の働く意欲を削ぎかねない。実際に昨年はテイクアウトを始めた飲食店を取材したこともあったが、「いつもなら行列ができてるんだけどね…」と遠くを見つめる店主の目を見て、胸が締め付けられるような思いをした。

すでに大小問わず多くの飲食業が悲鳴をあげている。もしサービスを提供してくれる人が再び立ち上がれなければ、長い目で見て僕らが「ネタ」にできるような情報も減ることになる。まだあるうちは助けられるが、無くなってしまったら助けることもできない。

果たして、飲食業の人々に助けられてきた僕は、この状況でそこまで冷たくなれるのか?

いや、なれない。だから、状況を恐れすぎずに外食をするときは「一人」で「黙って」を心がけ、自分ができる範囲の中でちゃんと飲食業に貢献したいと思う。

【about me…】

鈴木 翔

静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済などノンジャンルでありオールジャンル。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。

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