僕と東京をつないでくれた「ムーンライトながら」の思い出


2020年1月22日。JRの夜行快速列車「ムーンライトながら」の運転終了が発表された。僕にとっては青春の思い出の中にある乗り物で、寝台列車がほぼ姿を消した今では「まだ運行していたんだ」というのも率直な感想だ。昨年が最終運転で。もう今年から廃止ということなので、ラストランで華やかに見送ることができないのが何よりも悲しい。せめて、ありがとうイベントくらいは…と思うのだが、現在の状況では少なくとも多くの人を集めた催しは難しいだろう。

ムーンライトながらの上り列車は、岐阜の大垣駅を22時台に発ち、朝5時過ぎに終点の東京駅に着く。500円ちょっとの指定席料金を払えば青春18きっぷでも乗れるから、関西方面や沿線に住む節約旅行者の多くが、一度はこれに乗って東京まで出かけた経験があるのではないだろうか。



かくいう僕もその一人。学生時代の夏休みはムーンライトながらを使って東京に出た。

ムーンライトながらが何より魅力的だったのは、僕の地元からだと東京まで青春18きっぷ1日分(当時は1日あたり2300円)と500円程度の指定席料金で日帰り旅行ができたこと。つまり3000円程度で東京を往復できてしまう最安の交通手段だった。そのかわり、行きも帰りも新幹線を使わないのは、お尻にだいぶタフさを要求する旅で、今たとえ仕事で同じことをやれと言われても、きっと簡単に首を縦にふれないような気がする。

僕にムーンライトながらを教えてくれたのは、高校時代のバイトで1個上の先輩だった「コクブクン」だった。

コクブクンは地元から通える大学に行っていて、僕より一年早く高校を卒業すると、親の車を借りて、いろいろなところに連れて行ってくれた。時々テンションが読めなくて、ちょっとクセの強いキャラだったけど、何よりもツッパった遊びをしないというのが、この人と最も波長が合うところだった。

お互い一人旅が好きだということも似ていて、そんな自由気ままの性格ゆえに連絡してくるタイミングも大体いつも”いきなり”。初めてムーンライトながらに乗った時もそんな感じで、電話で「明日“ながら”乗って、お台場冒険王見に行かない?」という急な誘いがきっかけだった。それから3年ほど続けて、ムーンライトながらに乗ってお台場に行くのが僕らの“年間行事”になった。ちなみにお台場冒険王とは、その頃にお台場のフジテレビで夏休みシーズンにやっていたイベントのこと。今でいうお台場夏祭りと似たような催しである。

うちの近くでムーンライトながらが停まるのは浜松駅だけで、浜松に着くのは深夜1時頃だったので、家の最寄り駅から終電直前の在来線に乗り、まずは浜松駅に出た。そして浜松駅の改札を一度くぐって、再度改札で青春18きっぷに日付印を押してもらい、ホームでムーンライトながらがやってくるのを待った。

何も知らないまま着いてきた上に夜行列車に乗るのも初めてだったから、寝台じゃなくても心地よく寝られる程度にリクライニングする座席を想像していたが、その甘さは乗った瞬間に覆された。普通の在来線より立派なシートだけれど、車両内には決してピッチの広くないシートに座り、窮屈そうな体勢のまま眠りにつく人の群れ。さらに、ほとんどの席が既に埋まっていて、カバンを抱えたまま寝ている人も多く、ちょっとした喋り声も許されないような重い空気が漂っていた。背筋を伸ばして修行僧のような穏やかな顔で眠るお行儀の良い人もいれば、大きないびきをかく人、通路に足を投げ出して寝る人なんかもいる。今では飛行機や高速バスの窮屈な体勢も慣れたものだが、あの時のカルチャーショックが登竜門になったのかもしれない。とにかく最初に乗った時は、首が痛くてまったく眠ることができなかったと記憶している。

そういえば、三度目のお誘いをもらった時は青春18きっぷで山陰と岡山を旅行し、1日かけて倉敷から地元の浜松に帰っている鈍行列車の車内にいた。たしか、例によって「明日、お台場冒険王行かね?」と突然誘われて。いや、俺、いま岡山から帰っているところなんだけど…と話しても、テンション高く「大丈夫、大丈夫」と押し切るコクブクン。結局、その日の深夜には浜松駅に帰ってきたその足でコクブクンとムーンライトながらに乗っている自分がいた。ただでさえハードな東京日帰りだったけど、倉敷→浜松→東京とほぼ24時間に渡って電車に乗りっぱなしというのは、なかなかエクストリームな体験だった。

その頃の僕は東京に何の興味もなくて、高層ビル群の群衆に圧倒されるという地方からの上京民なら誰もが味わう経験を味わい、ただただコクブクンの後ろに着いていくだけで、どこに寄ったかも何を見たかも覚えていない。でも、コクブクンが誘ってくれるまで2、3度しか東京に来たことがなく、そう思うとコクブクンの存在とムーンライトながらがあったことで、僕と東京との心理的距離は縮まったといえる。むしろ、この列車がなかったら後に上京をすること自体がなかったかもしれない。

ちなみに、大学を出るまで本当の兄貴のように仲の良かったコクブクンだけど、僕が上京することに複雑な思いがあったようで、いつしか自然と連絡を取らないようになった。僕が地元に帰ってきたことが嬉しかったそうで、その熱い友情を裏切ってしまったんだと思う。彼の気持ちを慮って、あの時は僕の方から連絡すべきだったけど、上京後の目まぐるしい生活の変化の中で、いつしか遠くの存在になっていた。あの時、わだかまりを解かなかったのは、これまでの人生の中でも、決して小さくない心残りのひとつである。


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