子供のころ、夏休みになると何度も聞かされた「親の発言」の真意は…

いろいろ行きました、本当に。ただし一人で。

常人の一生分の旅行は既にしてきた自覚のある僕だが、小さな頃からあちこち旅行に連れていってもらえた子供だったかというとそうではない。むしろ両親は商売をしていたので、家族で遠出をしたという記憶は数えるほどしかない。そもそも週末を家族で過ごしたという記憶がほとんどない。

よって、特に小学生の頃は、今のような夏休みや冬休み目前の時期になると毎度羨ましい思いをした。周りは楽しく休み中に出かける予定を話すのだが、我が家はどこかに出かける予定などない。むしろ人が働いている時ほど我が家は書き入れ時なのだ。



特に羨ましかったのはクラスメイトの中でも仲の良い友人だったT君だ。彼の家は両親とも教師なので夏休みも冬休みも家族揃ってがっつり休みが取れる。だから夏休みになると海外旅行、冬休みになると雪山にスキーと、毎度のようにどこかへ出かける話を聞いた。

その頃から「旅」を強く意識してはいなかったが、どうやら当時から遠くの世界を見てみたいという好奇心の素養はあったらしい。何だか長い休みが明けるたびに彼がひとつひとつレベルアップしていくようで、自分と差がついていくように感じられた。

しかしながら、僕もただ羨ましがっているだけではない。彼の話を聞いて家に帰ると、台所で夕食を作る母の横に立って、エプロンの裾を掴みながら毎度のように「僕も海外旅行に行きたいなぁ」とか「僕もスキーやってみたいなぁ」などとお願いをしてみた。無論、子どもながらに公務員家庭のT君と僕とでは環境がまったく違うことは自覚していた。だから、いい返事をもらえることはないとわかっていた。というよりも、母が返してくる返事は決まって次の言葉だとわかっていた。

「そういうのは大学生になってから自分でお金を貯めて行くんだよ」

ダイガクセイ…何ですかそれは?

母によると、海外旅行とかスキーというのは、大学生になってからお金を貯めて、友達と一緒にいくものらしい。なるほど、そういうものなんですか。つまり、ウチよりもT君の家のような状況の方が珍しいということデスネ…。

大学とは何なのか、それが何をするところなのか、誰でもそこに行けるのか…。小学生の僕には謎が多かったが、母に幾度と言われたこの言葉によって僕がひとつだけ認識できたのは、

ダイガクセイ=何もしなくてもお金が貯まる人

という大いなる勘違いだった。

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それから十年近くが経って僕はめでたくダイガクセイになるのだが、高校生になってからも大学に行くというモチベーションの何%かは「大学生になったら海外に行ける」という依然として誤った認識から来ていた。

もちろん大学生になったらそれは簡単に裏切られる。大学生になっても自然と自分にお金が歩いてくることはない。むしろ、家賃と食費程度の仕送りはしてもらっていたけれど、遊びに使うお金はぜんぶ自分で稼がねばならない(よほどのお坊ちゃん出ない限り、そんなのは当たり前だが)。携帯料金や通学に使う原付のガソリン代も自分で工面しなければならない。そういうわけで、とにかくバイトに精を出した。

毎日昼間に3コマとか4コマの講義を聞いて、サークル活動のような幸せなキャンパスライフには目もくれず、帰宅して仮眠をとって深夜から朝までバイト。週に何度かはバイト上がりのふらふらのまま大学に行き、週末もまたバイト。ある時期はバイトを3つ掛け持ちして働いた。若かったからこなせたけど、ある意味で、あの頃が体力的には人生で一番ハードだった時代かもしれない。



そんな感じで、誤って植え付けられた認識と現実はまったく違ったわけだが、「大学生になったら海外に行ける」は実現できた。

そして現地ではいろいろな壁にぶつかった。空港では飛行機の乗り方がよくわからないし、中学校から勉強してきた英語はほとんど通じないし、マクドナルドではバニラシェイクを頼んだはずがチョコレートシェイクが出てくるし、バスに乗ったら目的とは逆方向へ…。勝手知ったる世界なら当たり前のことが当たり前に運ばない。

あ、そっか…。

そこで母親が常に言っていたあの言葉の裏にある真意にようやく気付いたのである。

うちの親は海外旅行に行ったことがない。しかも海外と聞いただけで「とにかく危険」という先入観を少なからず植え付けられた世代だ。それなのに子供を連れて行けるはずもない。そして子どもの前で国際線の乗り方を間違えたり、英語が喋れなかったり、マクドナルドでバニラシェイクを頼んだらチョコレートシェイクが出てきたり、バスに乗ったら逆方向へ…なんてことになったら親の沽券というものに関わってくる。つまり「そういうのは大学生になってから自分でお金を貯めて行くんだよ」という言葉は「そういうのは大学生になってからバイトして働いてお金を貯めて自分の力で行け」というのが正しい意図だったのである。

…と、いつものノリで冗談ぽく書いてしまったが、いろいろなことを犠牲にしながらも子供を育てるために必死で働いてきてくれた親には深く感謝している。それに子どもの頃から親の力であちこち連れ回されていたら、後々になって外の世界が見たいなんて冒険心を持った僕はきっといなかっただろう。今思えば、夏休みともなれば親も子供をどこかに連れて行きたいと思っていただろうに、それができないジレンマの中で、僕から「どっか連れてって」と何度もお願いされるのは、いつもつらい思いだっただろうと今でも心を痛める。そして、旅先の写真を撮って親に世界の景色を見せたいというのが、僕の旅の“裏モチベーション”になってきたというのも、本人には話していない、ここだけに書く秘密である。

【about me…】

鈴木 翔

静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済などノンジャンルでありオールジャンル。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。

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