「編集脳」と「ライター脳」はやっぱり違うという話

先日のブログでも書いたけれど、いま、数年前のミャンマー旅の写真を使って、道楽でフォトブックを作っている。当たり前なんだけど、写真オレ、編集オレ、デザインもオレ。100%セルフメイド。

写真集サンプル1

やってみると同じクリエイティブ的な作業とはいえ、「編集脳」と「ライター脳」はやはり別物だと改めて感じる。

もともと編集と執筆、時には撮影もシームレスにやっているけれど、原稿ひとつとっても自分の原稿を推敲するのと他人の原稿を推敲するのは感覚が全然違うものだ。

経験則から言って、そこにある違いは「感情」だと思う。自分が書いた文章には、一文一文…いや一言一言に細かい感情が籠もっている。単語の選び方だったり、リズムだったり、きっと読んだ人のほとんどに気付いてもらえないこだわりがあったりする。

対して他人の書いた文章には、そういう主観的な感情は籠もっていない。もちろん書いた相手の感情はあるわけだけど、編集者という視点に立つと他人の感情よりも面白さとかわかりやすさということの方が優先される。つまり、そこに愛がないから、他人の文章を直す時は自分の文章を直す場合に比べて数倍のスピードでバサバサと赤字を入れることができる。

その違いは、マクロとミクロ、ハードとソフト、効率と非効率など、いろんな言葉で例えることができそうだけど、僕の場合、ペンを持つ時は右手、箸を持つ時は左手という歪な両利きだから、余計にその感覚が強いのかもしれない。

こうして写真集を作っていてもデザインは自分だから、随所に変なこだわりが出て「編集脳」と「ライター脳」の違いと同じような壁にぶつかっている。もちろん、そこにはデザインを本格的に勉強したことない人間の未熟さもあると思うけれど、それとは違うハードルがある。

普段ならラフを引いて一旦手離れしてしまったものは、そこからはデザイナーの作品だと割り切れるのだが、自分でやるとなるとそうとはいかない。やればやるほど悩みが深くなっていく。

仕事の傍らで進めているが、どうにか来週中には形にしたいんだけど。果たして…。

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