神の子マラドーナの急逝で思い出す、ブエノスアイレスでのサッカー観戦の記憶

11月26日になったばかりの深夜、ベッドの上で寝惚け眼でスマホを開いたら信じられないような訃報が目に飛び込んできた。

「ディエゴ・アルマンド・マラドーナ氏、死去」

享年60歳。指導者や解説者として、まだまだ活躍できる年齢だけに本当に惜しい。


言わずと知れたアルゼンチン…、いや、世界のサッカー界のレジェンドであるマラドーナ。いわゆる神の手ゴールや伝説の5人抜きゴールは86年メキシコW杯のこと。当時4歳だった僕にとってはサッカーを知り始めた頃より一時代前のスターで、選手としては94年アメリカW杯でのゴタゴタなどの方がずっと印象が強かったりする。

ただ、彼の心のチームであるボカ・ジュニアーズ、そして母国のアルゼンチンは、彼の国を若き日に訪れた僕にとっても今だ特別な存在である。

マラドーナという名前を聞くと、当時の日々を懐かしく思い出す。若干の書きなぐりになり、写真が出せないのがやや寂しいところだが、彼への追悼を兼ねて言葉で当時の記憶を振り返りたい。


「ラ・ボンボネーラ」で試合観戦


アルゼンチンの首都ブエノスアイレスまでは日本から北米でのトランジットを経て24時間以上の長い移動。エセイサ国際空港から市内中心部に出て、その日の宿にささっと荷物を預けると、近くの大通りで急いでタクシーをつかまえた。本格的な仕事は次の日からでOK。本来ならゆっくり移動の疲れをとりたいところだが、この日、僕にはどうしても訪れたい場所があった。

しかし、とりあえずタクシーはつかまえたものの、僕の中途半端な語学力ではその行き先をどう伝えていいか分からない。逸る気持ちもあってどうにもこうにも落ち着かない中で、運転手に「ボカ!」と言いながら自分の靴の爪先を叩くジェスチャーをしてみる僕。すると彼はこちらのクイズの答えが分かったようで、「ボカ……? パルティード⁉︎」と返してきた。パルティード…、何となくだけど、たぶんきっとそれだ。




運転手に任せたきり、タクシーを20分ほど飛ばすと、おそらく僕の希望通りの行き先が見えてきた。ラ・ボンボネーラ、正式名称はエスタディオ・アルベルト・J・アルマンド。アルゼンチン屈指の人気サッカーチーム、ボカ・ジュニアーズの本拠地であり、かつてマラドーナも活躍したスタジアムだ。タクシーはスタジアム前の広場に泊まり、運転手は「ここだろ」とドヤ顔。そして人が集まる一点を指差しながら何か言っている。どうやら、あそこに行けばチケットが買えるらしい。

当時は今ほどネットが便利じゃなかったけど、アルゼンチン入りするこの日にボカのホームゲームが行われることはチームの公式サイトを見て知っていた。この日の対戦相手はベルグラーノだった。同国第二の都市、コルドバに本拠地を置く中堅チームだ。

ボンボネーラというのは「お菓子箱」という意味だが、近くに寄ってみるとそんな可愛らしい愛称とは裏腹に、たくましい男たちが群れをなしている。幾らかもよく分からないままチケットを買うと、そこからの流れに乗ってスタジアムの中に入っていく。ただ、本当に流されるまま来てしまったけれど、周りの客の服装や顔つきを見ると、何となく危険な匂い。何よりもサッカースタジアムでありながら、通路から特有のアンモニア臭が漂っていることに、衛生観念高めの国から来た人間としては違和感を覚える。

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そうしてたどり着いたのは、ホーム側のゴール裏。サッカーファンならよく分かると思うけれど、ゴール裏といえば熱狂的サポーターの溜まり場。指定席よりもチケットは格段に安いのだが、その分、少なくとも客層の顔ぶれは“上品ではない”。簡単にいうと観光客はできれば避けたいゾーンである。

どうにか熱狂的ボケンセ(ボカのサポーター)の集団から離れた場所に位置を確保したが、一人で来ていることもあって、目の前の試合よりも背中の後ろ側の方が気になって仕方がない。よって、試合の内容はほとんど覚えていないけれど、当時のボカはスペイン帰りの名手・リケルメ、代表歴もあるベテランストライカーのパレルモ、そしてヨーロッパ最注目の若手だったパラシオを攻撃陣に擁し、その年にリベルタドーレス杯を制覇した最強布陣。終始ボカが盤石の展開だったと記憶している。

後ろを向くと、ずっと「ボカッ!ボカッ!!」とチャントしている熱狂的な方々。周りの人との密集度も高い。危険を見越してできるだけ軽装で来たとはいえ、全身に神経を張り巡らせながらサブ用のレンズを装着してきたFM2のシャッターを押していた。

試合は順当にボカの勝利。だけど、試合が終わってもサポーターのチャントは止まらない。おまけにサポーター同士の衝突を避けてなのか、先に相手側応援席のゲートが開き、ホーム側サポーターはしばらく閉じ込められたまま。現にこちらの席からは、明らかに相手サポーターを罵っていると分かる大量の声、声、声。とにかく早くここから出たいと思いながら、もしこれで試合に負けていたらどうなっていたんだろうと背筋が少し冷やっとしたのを覚えている。



数日後に改めてスタジアムを訪れ、併設のギャラリーを見学した。そこには歴代選手を紹介するパネルが飾られ、バティストゥータやカニーヒアらとともにマラドーナのパネルも並んでいた。マラドーナがボカに在籍したのは、若手の頃の81年から82年と最晩年の95年から97年までのわずかな期間ながら、引退後、ボンボネーラで我が家のように試合観戦する姿が見られたことからも、マラドーナのボカに対する深い愛が窺える。

現代の選手がドリブルで相手をかわした時にも「マラドーナのような…」なんて引き合いに出されるように、サッカー界にとってもアルゼンチンにとっても不世出のスーパースターだったマラドーナ。記憶に残るプレーと強烈なキャラクター、そして「神の子」という愛称にふさわしいその少年のような笑顔はいつまでも忘れることができないだろう。

R.I.P , Diego どうか安らかに…。

【about me…】

鈴木 翔

静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済などノンジャンルでありオールジャンル。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。

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