フィッシュフィッシュチャパティチャパティ in インド

ゴアのシーサイドカフェで見た夕陽

無印良品で新たに「ナン」を発売するらしい。ナンっていうのは、ほかでもなく、あのインドカレーに欠かせないパンのことだ。

インドへは大学2年の時にゼミの研修で訪れた。冬休みの2週間を丸ごと使って、2002年の年末年始は最先端のIT企業から僻地のスラムまでリアルなインドを見て歩いた。プネーの街では日本語を勉強する学生の家にホームステイさせてもらい、ごく一般的なインド人家庭の生活も体験した。



インド人と一緒に行動していると3食カレー、しかも肉なしのベジカレーばかりの食生活になるというイメージは間違っていない。ただ、きっと日本人の多くがインドの食卓には毎日のようにナンが並んでいると思っていることだろう。しかし、ナンというのはタンドールという特殊な窯が必要なので、家庭で主食として食べられているのはフライパンでも作れるチャパティというクレープのような薄皮のパンだ。

「インドでの思い出の“鉄板ネタ”」

渡印後最初に数日間滞在したゴア大学のゲストハウスでも食事はチャパティだった。

おそらく僕らが滞在する期間だけ、食堂のおじさんがゲストハウスに来てくれて食事を賄ってくれた。向こうからいろいろ話しかけてきてくれる気さくな人で、お互いカタコトの英語でコミュニケーションを取っていた。

ところが、そのカタコトが仇となり、今だに“僕の鉄板ネタ”として語られる一つの事件が起こる。

ゲストハウスに到着した直後に食事を案内されたけど、軽い時差ボケと移動の疲れでほとんどのメンバーがキャンセル。誰も食べないのは申し訳ないので、二人だけが食堂に行った。

二人のうち片方は海外旅行が初めての先輩で、どんな会話に対してもbe動詞のセンテンスでしか返せないというムードメーカーの“be君”。

余談だが、行きのエアインディア機の機内食で本場に比べれば随分とジャパナイズ化されたインドカレーをひとくち食べ、「俺、インド合わない、ダメかもしれない…」と上陸前から一人絶望の淵に落ちていた生粋の島国人間である。

それからしばらくして、二人が「何なんだよ!」と言いながらバタバタと戻ってきた。

はて、何があったのだい?

「コーヒーなんて頼んでないのに、あっついコーヒーが勝手に出てきたんだよ!」とbe君。

まぁ、確かに12月のインドは熱いコーヒーを飲みたいような気候ではない。より詳しい話を聞くと…、

「メシ食い終わる頃に食堂のおじさんがこっち来て、『おいしい?』って聞いてくるからさ。おぉ、まさかこの人、日本のことが好きなのかと思ってさ、YES!って言ったわけ。そしたら頼んでもないのにコーヒーが出てきてさ、半分も飲まずに出てきたわ!」

なるほど、まぁ、たかがコーヒー一杯でそんなに感情的になることもない。それに旧英国領(ただし、ゴア州だけは旧ポルトガル領であるが)だから、向こうからしたら一種のおもてなしだったのかもしれない。

……いや、待てよ。

インドに来て初めての食事で、食堂のおじさんが日本好きで「おいしい」なんて言葉を知っている確率は果たしてどんくらいだ?

おいしい、

オイシイ、

オイシー、

オイヒー、

コイヒー、

コーヒー…

おいおい「おいしい?」と「コーヒー?」の聞き間違えじゃあないか?

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僕も初めての海外渡航でニューヨークに降りた時、JFK空港近くのマクドナルドでチョコレートシェイクを頼んだらバニラシェイクが出てくるという“洗礼”を味わったが、この男もこのインドの地で初めてEnglishの洗礼というものを味わったのである。

リスペクトを込めて彼の名をこう呼ぶ

それから食堂のおじさんは、数日間にわたっておいしいご飯を作ってくれた。ほぼ毎食、ベジカレーとチャパティだったけど(飽)。おじさんの子供も手伝いに来ていて、星空の下の食堂はいつも賑やかだった。食いしん坊の山田君と毎食のようにチャパティの大食い対決をした。最低でも一食20枚はチャパティを平らげたな。それでも、おじさんが嫌な顔をすることはなかった。

ゴアでは現地の学生と交流しつつ、世界中の旅人が憧れる海岸のサンセットを見たり、あのフランシスコ・ザビエルが眠る教会を訪れたり、別の教会のクリスマスミサに行って眩いくらいキラキラとした光に包まれた。

ゴアを離れる前夜にはささやかなパーティーを開いてくれた。そこにはチキンカレーも用意されていて、日本を離れて初めて肉を食べた。今までの人生で思い出に残っているカレーは何かと聞かれたら、5本の指に入るカレーであることは間違いない。



そして結局最後まで食堂のおじさんの名前を知ることはなかった。ただ、食事の時にチャパティや魚のフリッターのおかわりが欲しいか聞いてくる甲高い声にリスペクトを込めて、僕は彼をこういう名で覚えている。

フィッシュフィッシュチャパティチャパティ

と。

今はパンデミックで大変なインド。こうしてあのゼミ研修のことを思い出すと、お世話になったみんなは大丈夫だろうかと心配になる。平穏が戻った暁には、きっとまたインドに行く。

【about me…】

鈴木 翔

静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済などノンジャンルでありオールジャンル。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。

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