「〇〇問題」という言葉に潜む真相


情報に敏感な性格だと、普段の生活の中でもふと心にひっかかる言葉がある。
例えば、今朝、Twitterでこんなことをつぶやいた。

これは冗談まじりだけど、「祭り」の方はともかく「問題」というのは、普段から仕事においても注意して扱おうと心に留めている言葉である。

当然だが、テレビや新聞にも「問題」と付けて語られるものが溢れている。

改ざん問題
気候変動問題
契約解除問題
見た目問題
職場復帰問題
二股問題
嫁姑問題
ワクチン問題
フォーメーション問題
独身問題
闇営業問題…

芸能関係のようなライトなものから社会全体の課題まで、実に多くの「問題」が世の中には氾濫しているということが分かる。

無論、ビジネスシーンなどでは「経営改善問題」のような形で、喫緊の重要課題を「問題」として語ることで関係者の意識を一箇所にフォーカスさせることができるという側面もあると思う。

しかしながら、よくよく考えればさほど大きくないようなことでも、「問題」という言葉を付けることで「いかにも悪そうな」雰囲気を作り出すことができる。

そして、その裏には「問題」ではないものを「問題」にして大きな話に膨らませたい人のバイアスが確実に乗っかっている。例えば「失言問題」なんかは、お尻に「問題」が付くだけで話題が一過性で終わらずに後々まで尾を引くことが多い。

僕自身もいろんな仕事をしていると「問題」と付いた言葉を使う場面にさしかかることがある。しかし、それをそのまま受け売りで使うと自分自身がそのバイアスに流されかねないので、そういう時は「果たして、これは『問題』と付けて語っていい話なのか?」と自分の中で一度問いかけるようにしている。

そして、これは違うなって思った場合には「〇〇問題」ではなく「〇〇の件」と言う風に置き換えることにしている。失言の件、契約解除の件という風に。

ちなみに、これは仕事でも同じようなことが言えて、何かにつけて「その『問題』はさ…」と枕詞のように言ってくる上司や同僚はちょっと警戒すべき。意図的であってもなくても、どうでもいい小さなことを「問題」に変換して事を膨らませられると、だいたい後になって厄介なことにつながる。人間関係において、時に「問題」という言葉は誰かを責める武器にもなる。

コロナ禍において有象無象のさまざまな情報が生み出されているけど、「問題」という言葉を見た時は、ちょっと冷静になってその本質を考えてみたほうがいいかもしれない。

ちなみに、我が家の喫緊の課題は「今日の昼ごはん、何にしよう問題」である。

何をたべようかな(笑)。それでは。

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