SNS疲れが原因? かつて僕がツイッターをやめた理由について話します

保護フィルターボロボロ(笑)

10年間眠らせていたアカウントを復活

しばらくSNSとは縁遠くなっていたけれど、おととしからツイッターを再開した。

新しいアカウントを作ってもよかったが、約10年前に作ってあったアカウントを更新して使うことにした。

もともとツイッターを始めたのは、上陸した当時に属していた会社で社員用アカウントを作らされて、それに併せてプライベートのアカウントも作ったことがきっかけだった。

たしか一年も続けることができなかったと記憶している。楽しいと思うことは飽きずに続けられる性格だけど、なぜ止めてしまったのかを今振り返ってみると、 “リア充感”を出し続けないといけないことに疲れたんだ と思う。

「SNS疲れ」なんて言葉があるけど、それが早い段階でやってきたのかもしれない。



ツイッターが上陸して初めの頃は、どこに行ったとか美味しいものを食べたとか、幸せなことしかつぶやいてはいけないみたいな風潮が強かったと思う。

今でいう“映える”ものは迎合されるけど、そうではないものは「なにそれ」という感じ。 「喜」と「楽」は共感を得るけれど、「怒」と「哀」は本当にただの独り言で過ぎ去っていく 

そして、わざわざ「喜」と「楽」を探し(≒作り)ながら続けていくうちにツイッターの中に“もう一人の自分”ができていて、自分じゃない自分を演じ続けないといけないように感じ始めた。他のSNSも似たような感じで、それで段々とSNSというものから遠ざかるようになった。

その後、なぜ僕がツイッターを再開したか、その目的は以前こちらのページで書いた通り。

久しぶりに開いていたツイッターは、僕が感じていた違和感から脱してリアルな声を出せる場になっているように感じた。一方で、かつてのキラキラした情報を発信する役割はインスタグラムに移行していったのかもしれない(←それが僕がインスタには手を出せない理由でもある)。

しかし、このところのツイッターはイデオロギー色が強まりすぎて、別の居心地の悪さを感じ始めているのも正直なところだけど…。

僕としては、このブログともどもツイッターでも楽しい声を届けていきたいと思っている。

それでは。

【about me…】

鈴木 翔

静岡県生まれ。東京都中央区在住。
出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済など様々。これまでの経験値から「たとえわかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。

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