アニメで話題「スーパーカブ」はもともと女子向けに開発された乗り物だった?
先日の深夜、テレビをつけたら『スーパーカブ』というアニメが流れていた。
スーパーカブとは他でもなく、あの新聞配達や郵便配達でおなじみの50cc原動機付自転車のことである。作品はスーパーカブと出会った少女の何気ない日常を描いた作品のようだ。この手の日常系のアニメはあまり見ないのだが、かつて僕も原付に乗っていたからか、不思議と興味をそそられて最後まで見てしまった。
原付自転車とは不思議な乗り物である。歩くことを覚えて自転車に乗るようになり、18歳を越えて遠くに行く手段が必要になったら自動車を買う。その過程の中で誰もが使う乗り物ではないし、かといって、乗ったとしても大半の人が数年間で“卒業”していくような乗り物だ。つまり乗らない人にとってはまったく縁のないものだけど、乗ったことのある人にとっては深い愛着を感じ、いつしかノスタルジーに変わる存在である。
偶然だが、最近わけあって地元の土着産業について調べる中で「しずおかオートバイ列伝」という本を読んでいた。言うまでもなく、それはほとんどホンダ、ヤマハ、スズキという浜松発祥のオートバイ企業の歴史ともいえる。
静岡が生んだ二輪車の中でも金字塔中の金字塔といえるのが、スーパーカブだろう。販売台数は全世界で1億台以上。自動車を含めてもこれだけ売れたマシンは他にない。
学生時代、僕は兄からのお下がりのNS-1が愛車だった。その一方で、同じホンダが作ったスーパーカブのあの洗練されたデザインに憧れていた。そのセンスは堅実性や実用性を大切にする今のモノ選びに通じていると思う。
アニメは「スーパーカブ × 少女」というアンバランスさが受けているのかもしれない。ただ、本書の中の「実は女性に優しいカブスタイル」の項を読むと、スーパーカブが女性との親和性を考えて開発されたことがわかる。
そもそもスーパーカブの原点となるカブF型が作られたきっかけは、戦後、ホンダの創業者である本田宗一郎氏(実は僕の小学校の先輩でもある!)が、劣悪な道路事情の中で買い物に出かける夫人を見て、エンジン付きの自転車があったら楽になるだろうと考えたことがきっかけだったという。
1952年に完成したカブF型は自転車にエンジンを取り付けたもので、見た目もほとんど自転車だったが、その後、カブF型の思想をもとにペダル式オートバイとして1958年に開発されたのが、スーパーカブの初代であるC100だった。本書の筆者は「本田社長はフェミニストであったのだろう」としているが、そこについてはどうだったかは分からない。
その一方で、スーパーカブの特徴のひとつであるレッグシールドも女性発案のアイデアだったそうで、本田氏の名参謀だった人物として有名な藤沢武夫氏の夫人が「エンジン剥き出しなのは鶏の臓物みたいで気持ち悪い」と言ったことがきっかけだった。
そして、学生や主婦、配達員など、世界中で幅広い層に受け入れられたスーパーカブに続いて、1976年にはさらに女性を意識し、機能をとことんシンプルにしたミニバイク「ホンダ・ロードパルNC50」を開発。女優のソフィア・ローレンをCMに起用したこのモデルは「ラッタッタ」という愛称で女性に広く親しまれた。
その後もヤマハのパッソルやビーノ、ホンダのジョルノなど、女性にぴったりなかわいいモデルが登場。発売当初、ビーノのCMには当時若者に大人気だったPUFFYを起用して、スクーター=活発な女子の乗り物という印象が定着した。
スーパーカブだけで1億台以上が売れたことを思えば、女性が社会へと開放されていく過程において、こうしたカブやスクーターの果たした役割は、決して小さなものではなかったのではないだろうか。
次回は引き続きスーパーカブを話の種に、ある旅の思い出を語りたい。
それでは。