若い人ほど感化されやすい?「電話不要論」の危険性について

電話する?しちゃう?

電話不要論に抱く違和感

Twitterで「電話不要論」が話題になっていた。
Abemaプライムの番組の中でひろゆき氏が語った持論が元ネタらしい。

その番組は見ていないけれど、スポニチのコタツ記事によると要点はこんなところだ。

・文章で要点をまとめられない無能な人ほど口頭で思いつきを伝えてくる。
・文字など記録が残っていた方が仕事は進む。
・受ける方の都合を考えずにかかってくる電話は邪魔でしかない。



これについて次のようにつぶやいたところ、結構な反響があって驚いた。

補足すると、コミュニケーションというのは双方向で行われるものなので、電話が完全に「悪」と決め付けてしまうのは浅はかな考えだ。伝言する際にどのツールを使うかは、状況と相手によって変わってくる。ツイッターでは「できる人」と「鈍い人」と分けたが、当人同士の「波長」なんかによってもコミュニケーションのあり方は変わってくると思う。

なお、けして僕は電話不要論に反対ということではない。電話不要論は以前からホリエモン氏が言っていることであり、今回のひろゆき氏の言っていることについても賛同できるところはある。ただ厄介なのは、彼らのようにメディア受けのいい“進歩的文化人”と見做されている人々の発言に感化されて、まだ未熟なのに「電話不要論を自分 ≒ 仕事ができる人」と思い込んでいる人があまりに多いことだ。

電話不要が成り立つのは…

フリーの立場だと、特定多数の相手と組んで仕事を進めることになる。クライアントが増えれば増えるほど、コミュニケーションのチャネルが増える。正直なところ、ビジネスパートナーとして対等に扱ってくれるところもあれば、自分たちはヒエラルキーの上だと勘違いしているようなところもある。

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特に後者の場合、メールだけでこちらの本意を汲めない“鈍い人”が「電話不要論」を掲げていると非常に厄介である。だいたい、そういう人はメールの返事も遅いし、詳細の埋め合わせがないまま“解ったつもり”で仕事を進めて本意とは誤った方向に進むことが多い。そして、そういう人に限って、メールなら後に残るという「記録」も、自分に都合の良い解釈をして自己弁護の「道具」にしがち。メールも返ってこないし、電話も出ない、その上で問い詰めれば、他人に罪をなすりつけるかのような言い訳ばかり…、これでは、こちらにかかる負担が大きすぎる。

そして、そういう人に対して、本意を組んでもらえるようにメールを書く時間というのは「いきなり来る電話は邪魔でしかない」人が奪われる時間と同様に、発信する側にとって非常に不毛な時間だ。

要は、電話で催促しなくても支障がないスピード感で、文字オンリーで的確なコミュニケーションをやりとりできる相手でなければ電話レスの関係は成立しないと僕は思っている。

僕は普段のコミュニケーションはメールが中心。でも、文面では説明が長くなることや誤解を生みそうなとこと、勘所となるような内容は電話を使う。それで「情報を処理できないダメな人」と判断されるならば、そこまで進歩した人間ではないのでゴメンナサイと思うようにしている。



ただ、こちらは直接話した方が効率的だと考えた上で電話を選んでいるので、何でもかんでも「電話は悪」として拒絶するのは、コミュニケーションうんぬん以前に相手へのリスペクトが欠けている。電話を使う相手かどうかだけで人を評価するような人は、たいてい他の場面でもリスペクトが欠けた言動が見えるので、そんな人と一緒に仕事をしたいとは思わない。

最初にも書いた通り、コミュニケーションは相手があってこそのものなので、安易な決め付けだけで物事を判断するのは、とても危険だと思います。それでは。

【about me…】

鈴木 翔

静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済などノンジャンルでありオールジャンル。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。

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