大学受験シーズンになると思い出す、担任教師のアリエナイひと言

大学受験で僕が頑なに決めていたこと

仕事の合間の息抜きで簡単なブログを書く。

大学受験の共通一次テストの会場となった東大で起こった刺傷事件についてTwitterで次のようなつぶやきをしたところ、フォロワーの長崎ふく子さんがリプをくれた。

へー、普通科だとそういうものなのか…と、納得というより「それって完璧に教師のエゴじゃん」と呆れてしまった。

というのも、僕は普通科の高校を出ていない。卒業後の進路も就職6割、進学4割。四大の進学率は10人程度。それもほとんどの四大進学者はほぼ全員が指定校推薦で進学先が決まるという学校だったので、進学校のような熾烈な競争はなかったし、そういう高校の実情も詳しくは知らない。



そんな環境にあって、僕は絶対に学校の推薦を受けて進学したくなかった。

追い追いどこかで話すけれど、僕にとって高校の3年間はいろんな意味で黒歴史なのだ。生徒間の人間関係も最悪だったが、教師からもいろいろとキツい言葉を浴びせられた。だから、この学校に頭を下げてまで推薦していただく必要はないと思っていた。これはカッコつけでも後になっての付け足しでもなく、当時から本当にそう思っていたのである。

一方で、長崎さんのリプを見ても、ウチは四大進学者が少ないから担任も自分への利益誘導なんて必要なかったよな…なんて思っていたのだが、そういえば…

担任がかましてきた謎アドバイス

春の三者面談で僕が志望先に並べたのは、我が校の指定校推薦にはない3つの大学だった。うちの親は大学どころか進学のことすら何の興味もなかったので、昼休みに進路指導室で螢雪時代なんかを読み込んでぜんぶ自分で決めた。

第1志望の大学は大してハイランクでもないが、指定校推薦が当たり前という僕の高校からは進学実績のない大学だった。だから、いろいろ知っている進路指導の教員ならまだしも担任教師には僕の扱いが難しく、三者面談でも「本気ですか?」という感じだった。

ただ僕本人には不思議な自信に満ちていて、そこには「私立大学も商売だから、受け入れたことのない高校の生徒ならなおさら取るんじゃね?」という、まったく根拠のない穿った考えもあった(笑)。

さて、黒歴史とはいえ高校3年間の中には本当に恩師と思える先生もいるわけだが、残念ながらこの担任は恩師のうちに入っていない。

うちの高校は地元で“軍隊”と呼ばれるほど校則の厳しい学校だった。そこには良い面もあったが、職員室の中に旧態依然とした古い気質があったのも否めない(←もう少しわかりやすく書きたいが、そうするとブログでもややマズい表現になる、笑)。

ちなみに、その一端はかつて下のブログにも書いた。

ブラック企業の定番文句「当たり前」という言葉にトラウマを抱いた高校時代の恐怖体験

【最新ブログ-SUZUKISHO.com】

教師の言うことが当たり前という空気がある中で、2年間担任だったこの教師からも今だにトラウマとして残るようなキツい言葉をかけられた。「とにかく、お前らは私に面倒をかけるな」と平気で生徒に言う教師である。教師に言われた良い言葉なんて大して心に残らないが、教師に言われた傷付く言葉はずっと心に残る。大半の教師はそれを知らないと思う。

よって、その担任とはずっとソリが合わなかった(教師と生徒という関係値における謙虚さは弁えた上で、あえてそういう表現を使う)が、三者面談を終えてしばらく経ったある日の帰宅前に珍しく彼が僕の方に寄ってきたのである。

帰りのホームルームを終えて、みんなが教室から流れ出る喧騒の中、彼は僕の進路について話を切り出し、こんなことを言った。

「お前は早めに環境が決まっている方が、大学に行った後も実力を発揮できそうだから、指定校推薦で〇〇大学(実家から通える近所の大学)に行ったらどうだ?」

この担任とは深く話したこともないので、何を根拠に「早めに環境が決まっている方が実力出せる」と判断したか知らないが、当時は今よりも思考力がないから単純に、

え、この人何言ってんの?

という感じだったと思う。



公立校は一校しか受けられない高校受験と違って大学受験はどこを受けようと生徒の自由だ(ただし何校も受けると受験に伴う費用がバカにならないから気を付けよう)。世の中には「記念受験」なんて言葉もあるくらいだ。ほかでもない受け持ちの担任が僕のチャレンジを止めようとするのは明らかにおかしい。ついでに言うと指定校推薦にあるような大学はわざわざ指定校推薦で行かなくても一般受験で間違いなく入れる。だからこそ余計に不自然だ。

第一に大学というのは学びたいものがあるから行く(そして僕には明確なそれがあった)わけで、学費を出す親でもない他人が立地だけで良いとか悪いとか勧めるものでもない…と、珍しく自分から寄ってきた彼に対して当時は謎しかなかったのだが、長崎さんの言葉を重ね合わせると、今になってこの不自然なコミュニケーションに合点がいく。

ああ、担任の実績づくりだったんだなって。

ちなみに、ここからはちょっとカッコつけに聞こえてしまうけれど、この時に僕が担任に返した言葉は、

いや、ボク、自分の人生は自分で決めますので(原文ママ)

だった。お前はド○ターXかっちゅうねん。笑

その一言だけ言って、その場を去った。あの時以降、担任とほとんど会話がなかった。子どもなりに、この人とはあまり話してはいけないと感じ取ったのだろう。

大学受験にせよ何にせよ、特に責任のない大人の言う言葉に従って道を誤ったとしても、その大人は何の責任も取ってくれない。大人になってみるとよく分かるのだが、言葉ひとつで他人の人生を背負えるほど、すべての大人が偉いわけじゃない。

やりたいと思ったことはやる。同じ後悔でもやらずに後悔するのとやって後悔するのとでは、後の人生に与える影響も大きく違う。そのアドバイスが本当に自分を思っての言葉なのか、素直な気持ちと疑う気持ちの両方を持って自分で正しいと思う道を選ぶべきだと思う。

その担任とは卒業後一度も会ったことがないが、今はどこかの高校で校長をやっているらしい。学問を教え、人を育て、そのポジションまで登り詰めたのだろう。素直ではなかった僕と違って彼のアドバイスを聞いてたくさんの教え子がいい人生を歩んでいたらいいなと思っている。

そして僕は、めでたく志望校にストレートインできたので、彼のアドバイスを聞かなくて本当によかった。笑

大学受験を控える君へ、がんばれ!(どんな終わり方やねん。笑)

【about me…】

鈴木 翔

静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済などノンジャンルでありオールジャンル。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。

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