「ブレイクスルー感染」で改めて考えた、ものをわかりやすく伝えることの意義
言葉が効力を持つためには…
僕らがモノを作る時は、企画にしても文章にしても映像にしても、まず「どんな風にしたら世間の人に見てもらえるか」を第一に考える。なぜなら、たとえどれだけいいものを作ったとしても、それがわかりやすく人の目に触れなければ、その良さは誰のためにもならないからだ。
例えば雑誌の表紙にしても雑誌名は必ず上部に置くというのが鉄則だ。そして「大ネタ」になるような記事の見出しは雑誌名の上やすぐ下に置く。雑誌は書店やコンビニの棚に置かれると他誌に埋もれて頭の部分しか見えない。どんな特ダネが詰まっていても棚の前に立つ人の心をそそるのは頭にある数文字のキャッチコピーだけなのである。究極を言えば、一発のネタだけで買ってもらえる魅力があるなら雑誌名すら上部に置かなくたっていい。
ネットの場合はもっとシビアだ。「見出しが8割」なんて言われるネット記事は一記事一記事の見出しが雑誌でいう表紙みたいなものだ。ユーザーが見るか見ないかは見出しの数十文字だけで決まる。雑誌なら表紙のタイトル周りで購入者を“釣って”さえしまえば、中身はそこそこ自由にできる(作り手視点に立つと、そのパッケージとしてのモノづくりが紙媒体ならではの妙味)が、ウェブ記事は2000字とか3000字レベルの記事ごとに表紙級の威力がないと見てもらえない。よって見出しだけ過剰で中身は大したことのない“釣り記事”みたいのが頻発するのである。
ちょっと横道に逸れたが、ここで言いたいのは、言葉や表現というのは人にしっかり意味が伝わって始めて効力を持つということである。そんな中で僕が最近気になっているのが「ブレイクスルー感染」という言葉だ。
コロナ禍で乱発する横文字言葉のわかりづらさ
ロックダウン、クラスター、ソーシャルディスタンス、スーパースプレッダー、オーバーシュート、さらにはウイルス変異種のデルタ、シータ、ミュー、イオタなどなど。コロナ禍の中で新しい横文字が出てくることに慣れてしまった感もあるが、日本語で表現する言葉がない時ならば外来語は便利だと思う一方、子どもやお年寄りを含めた広範な世代にものを伝えたい時には横文字の使用は「わかりづらさ」をはらむ。
そうした点で言うと、クラスター、スーパースプレッダーあたりは日本語よりも横文字の方が認識しやすい言葉かもしれない。一方で、ロックダウンは「都市封鎖」、ソーシャルディスタンスは「安全間隔」、オーバーシュートは「感染爆発」と、それぞれ日本語で事が足りる。
そこで今話題の「ブレイクスルー感染」だ。
厚生労働省ホームページには「ブレイクスルー感染」について次のように解説されている。
「どの感染症に対するワクチンでも、その効果は100%ではありません。ワクチンを接種した後でも感染する可能性があり、それを『ブレークスルー感染』と呼びます。新型コロナワクチンの場合では、2回目の接種を受けてから2週間くらいで十分な免疫の獲得が期待されますので、それ以降に感染した場合にブレークスルー感染と呼んでいます」(厚生労働省ホームページより引用)
ここで端的に重要な点は「2回の接種を終えても陽性化の可能性がある」という点だ。ならば「(ワクチン)接種後感染」という言葉ではダメなのだろうか。これこそ何よりも人々の安全に極めて身近なことだから一発の言葉で解りやすく伝えるべきなのに、わざわざ説明が必要になるようなややこしい横文字言葉を使う。何だかタヌキに化かされたような気分にもなる。
言葉を扱っている者の視点からすると、新しいものが出てきた時には本来なら…
①わかりづらいもの → ②わかりやすく言語化
になるべき流れが、今は
①わかりづらいもの → ②横文字で言語化 → ③難解な横文字だから追加で説明が必要
みたいな流れになっているような気がしてならない。そして踏まなければならない段階が1つ増えれば、そこに本来は必要ない負担がかかる分だけ言葉の伝播力は落ちてしまう。
もしも僕が上記の厚労省の説明を書き直すならこんな感じだろうか。
「どの感染症に対するワクチンでも、その効果は100%ではありません。新型コロナワクチンにおいても十分な免疫が得られるまでには2度目の接種を受けてから2週間程度の時間が必要であり、稀に2度目の接種以降にウイルスに感染したケースもあります。こうした『(ワクチン)接種後感染』をブレークスルー感染と呼ぶこともあります」
誰がブレイクスルー感染なんてわかりづらい言葉を使い始めたのだろう。きっと、これまで直面したことがないような状況において横文字の造語の方がキャッチーさと斬新さを与えられると考えて外来語を流用したのだろうか。ただ、ワクチン2回うって、もう自分は安心だと外にお酒を飲みに行っちゃうお爺ちゃんに「ブレイクスルー感染に気をつけてね」なんて言っても、おそらく「??」だろう。最初に言ったように、言葉や表現というのは人にちゃんと伝わって始めて効力を持つ。見た目優先の安易な横文字使用は危ういと僕は思う。
【about me…】
鈴木 翔
静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済など様々。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。