【鬼滅の刃】煉獄杏寿郎の名言「心を燃やせ」に感じてしまったフリーランスの悲哀

今年は今年で後に続くようなお化け作品が出てくると思っていたが、年末からの新シリーズ放送開始が決まったこともあり今年も『鬼滅の刃』のブームが続いている。従来は某テーマパークのマニアである友人の奥さんも、このコロナ禍で外出自粛が続いたこともあり、すっかり「煉獄杏寿郎ファン」に変わっているそうな。



その友人と鬼滅の刃ネタと仕事の話なんかをごちゃまぜにしてLINEで話していたら、僕の思考の中で煉獄さんの生き様とフリーランスの苦悩とが不思議と繋がってしまった。

煉獄さんは鬼殺隊という組織の一員なんだからフリーランスではなく中間管理職の苦悩でしょう?

……と思うかもしれないが、

そこは否(いな)!

当てはまるのはフリーランスの苦悩である。

なぜ、煉獄さんは「心を燃やせ」と言うのか

フリーで働いているとあれもこれもと作業を“丸投げ”されて、相手の要求されるレベルもよく分からないまま一人きりで走ることになる仕事も少なくない。翻って言えば、及第点の仕事さえしておけば相手の満足を得ることができるのかもしれないが、それでは一定のレベルから抜け出すことはできず、いずれ飽きて捨てられるのは見えている。

だからこそ自分の中で高いハードルを設けて自分自身で熱量を上げながら、よりクオリティの高いコンテンツを目指していくことになる。誰にも求められていないことを自主的により高い次元で形にしていくという作業には、組織の人間ではないからこその「孤独」がともなう。

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圧倒的な戦闘力を持つ上弦の鬼から人々を守ろうとする“煉獄さん”の姿にも、そんなフリーランスの苦悩に通じるものを感じてしまった。

若手の炭治郎たちと協力して下弦の鬼を倒したと思った矢先、“よもやよもや”さらに強い上限の鬼・猗窩座と遭遇してしまった煉獄杏寿郎。周りに仲間はいるけど、間違いなく相手と対等に戦える実力があるのは「炎柱」である自分しかいない。

しかしながら相手に勝てる保証はないことは本人が一番わかっている。むしろ、相手に再生能力があることを思えば、自分の方が不利ともいえる。負けると分かっていれば逃げることもひとつの手段だ。でも、逃げて周りの全員が死ねば自分が責められる。

…とはいえ、一人や二人くらい命を落としても敵が敵だけに誰も責めやしないだろう。

きっと普通の人間ならそんな迷いが逡巡しそうなものだが、煉獄はそうした迷いをすべて取っ払って猗窩座の前に立っている。

つまり、この場面で誰からの指示もないのに「誰も死なさない」というのは、煉獄杏寿郎自身の責任感であり「柱」としてのプライドでしかない。だから、煉獄は鬼殺隊の「義務を果たせ」ではなく、「魂を燃やせ」と言うのだろう。いうならば最高の自己犠牲だ。そして、その先にあるのは本人しか知り得ない領域の「孤独」でもある。



ちなみに、中間管理職ならば、助けを呼んで自分より強い人(≒上長)が来るのを待てばいい(このタイミングで助けが間に合うかどうかは別として)が、フリーランスにはそんな後ろ盾はない。

もちろん僕たちみたいな職業の人間が鬼殺隊のように自らの生死を懸けて人命を守るようなカッコいい仕事をしているわけではないけれど、世の中から受け取るもののひとつひとつに何か意味を見出していくならば、そういう見方もできるだろう。

アニメ版の「無限列車編」も放送されていることから、まだまだ人気が続きそうな煉獄さん。果たして自分は心を燃やせているだろうか。改めて自分に問いかけている。

【about me…】

鈴木 翔

静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済など様々。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。

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