初宮参りや七五三の神社でついやってしまう“余計なお世話”

秋の神社でよく見る光景です

昨今、旅先で昔よりも少なくなったと感じるのは、近くにいる記念撮影の集団なんかにカメラを渡されて「写真撮ってくれませんかー」と頼まれることだ。

今ではスマホに必ずカメラが付いているので写真を撮る行為自体は増えているはずだ。どの観光地に行っても画面をタッチしながらパチパチと写真を撮る姿を見かける。それでも記念写真の撮影を頼まれるのが減ったのは、自撮り文化の定着によるものか、写真を撮るということが特別ではなくなったことによる文化の変化か、それとも対面コミュニケーションが減ってきていることからの影響か、はたまた僕が話しかけづらいオーラを出しているからなのか…。

まぁ、いずれにせよ、一人に浸りたい時間にわざわざ見知らぬ他人の記念写真を好んで撮りたいとは思わないので僕個人としては歓迎すべき風潮ではある。



だがしかし、どうしても見過ごせないというか、こんな僕が自分から進んで撮らせて欲しいと言ってしまう場面があるのだ。そして、その衝動は神社で起こることが多い。

例えば、先日も仕事の都合で乃木神社へ行った際にこんなことがあった。

自分の用事を終えて、一眼レフを首にぶら下げながら神様に一礼して帰ろうとすると、初宮参りと思しき夫婦と祖父母が本殿をバックにして写真を撮っている姿が目に留まった。

パパはピシッとしたスーツ、ママは上品な和装。赤ちゃんも祝い着に包まれて、ハイソな雰囲気かつモデルのようなご夫婦だ。僕のようなちゃらんぽらんなひとりもんからすると、とてもまぶしい、まぶしすぎる光景である。

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しかし気になったのは、カメラマンがお爺ちゃんだったことである。えてしてオジサンというのは、あまり写真に写りたくない生き物だというのはよくわかる。そして、この場合はパパはマストで入らなければならないと考えると自然とお爺ちゃんがカメラを持つことになることも理解できる。

ところが周りで見ていると、その爺ちゃんの背中は何だか切ない。人生60年くらい生きてきて、外でがむしゃらに働いて、家族のためにがんばってきた。今日もこうしてお祝いに来ているのに、俺は家族写真にも入れないのか…と、勝手に哀愁が声なき声となって聞こえてきてしまうのである。

頼まれてもいないのに自分から「撮りましょうか?」なんて声かけて余計なお世話になるのもあれだし、今日そんな昭和みたいな光景もなかなか見かけない。

そう思って一旦は目を逸らすが、やっぱり、

あー、これだと爺さんだけ欠席扱いか

こんな風にみんな揃って家族写真撮れるタイミング、なかなかないぞー

きっと孫の結婚式とかでこの時の写真使われても、爺さんの姿だけないんだなー

つーか、パパあたりが気を利かせて、周りの人に撮影頼みなよ…

なんて、いろいろな考えが頭の中を巡ってしまって、結果的に「撮りましょうか?」と自分から尋ねてしまうのである。



神社で初宮参りや七五三の家族を見ただけでなく、普通の旅先でもパパやお爺ちゃんがカメラマンをやっている時は、こちらから進んで声をかけることが多い。

家族水入らずの時間を過ごしたい人には、大きなおせっかいかもしれないけれど、だいたいの場合は断られることなく、撮った後に喜んでもらえる。自己満足でやったことではあるけれど、こんな僕でありながら珍しく世の中にいいことをしたと、勝手に清々しい気持ちになれる数少ない瞬間なのである。

【about me…】

鈴木 翔

静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済などノンジャンルでありオールジャンル。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。

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