年賀状マウント? 年賀状が「子供の写真報告ツール」になるわけとは

来年は卯年。

SNSの発達により年賀状を送る人が減り、翌年以降の年賀状を辞退する旨を書いた最後の年賀状を送る「年賀状じまい」なるものをする人が増えているのだとか。

そういえば、かつてはこのシーズンになると街中に「年賀状印刷受け付けます」みたいなポスターが貼られていたが、ネット注文が当たり前になったのか、今じゃすっかり見かけない。



一方で、家族の姿や旅行の風景など「リア充」な写真を載せた年賀状が送られてくることを「年賀状マウント」なんていうらしい。

僕なんかは、年賀状というのは「家族写真が送られてくるもの」だと思っているので、マウントを取られているという気は特にしない。

ただ、そうなると独り者の僕は年賀状に載せる“ネタ”がない。そう思って普段からSNSで会話している友人に年賀状を送らずにいたら「こっちは送っているのに、君はなぜ送ってこないのか」とLINEが来た。「特に改まって送ることもないし…」と返事をしたら、「意味わかんね、もう来年から送らねえから」と吐き捨てられた。

そんな彼の年賀状は毎年子どもの写真を載せたものである。こちらも自分一人の写真を載せて「こんなに大きくなりました」みたいなやつを送ればいいだろうか。おじさん一人の年賀状など誰が見たいだろうか。そして、子育てでなかなか旅行に行けない人に、旅先でのハッピーな感じの写真を載せた年賀状なんて送れば、それこそ望まないマウントの取り合いに感じられなくもないだろう。いずれにせよ、送るのも送らないのも他人に強制されない、個人の自由だと思う。

近年では毎年のように年賀状離れと言われているが、僕なんかはとっくの昔から年賀状離れが進んでいる。同級生の中には、もう何十年も会っていない小学校の担任に毎年年賀状を送っている小まめな人がいるが、そこから得られる生産性を考えると、僕にはとてもできることではない。


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では、いつから年賀状離れが進んできたかといえば、どこかにそのターニングポイントがあるはずだ。……たぶん、大学時代か。

大学に入って一人暮らしを始めると、年賀状を買うような余裕がなくなる。まずそこが第一段階で、次に大学を卒業して社会に出ると、がむしゃらな20代なんかは仕事に追われて年賀状を書く暇がないというのが第二段階。先に述べた友人のように、恩師などへ毎年年賀状を送ることがルーティンになっている人を除けば、多くの人が似たような感じじゃないだろうか。

その上で、そこからリターンライダーならぬ“リターン年賀状”するのがどこかといえば、結婚して家庭を持つタイミングになるのだろう。結婚式という晴れ舞台で親しい人たちと再会し、出席のお礼を込めて年賀状を送る。また、結婚式に呼ばなかった親しい人にも、人生のステージが変わったという近況を報告するツールになる。そこから再び年賀状を送り合う習慣が始まる。

そう考えると、大人になってからの年賀状というのは「家庭を持つこと」を機に始まるものなので、マウント意識がなくとも、自然と“子どもの成長報告ツール”がフォーマット化していくのだと思うのである。



よって独身の僕にはまだリターンする転機は訪れていないのだが、実はフリーランスになってから数年はオリジナルデザインの年賀状をクライアントなどに送っていた。ただ、企業側に年賀状廃止しているところが増えていて、そういうところに送った場合、迷惑になってしまうので、いつしかやめてしまった。

何はともあれ、新年早々、年賀状を見てイガイガした気持ちになるのも幸先が悪い。

たとえ相手が“リア充”のアピールを込めていたとしても、それをこちらがコントロールできることでもない。憶測だけで心をイガイガさせるよりも、少し神経質な気持ちをほどくことも必要かもしれない。

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鈴木 翔

静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済などノンジャンルでありオールジャンル。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。

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