軍隊と呼ばれた母校の修学旅行が、まさかの隣県でスキー旅行でした…

まぁ、今となってはいい思い出ですが、、、

ついこの前、Twitterを見ていたら

#みなさん小中高って修学旅行どこだった

というハッシュタグがトレンドになっていた。



これって出身地や時代にもよって違ってくるけれど、僕が生まれた静岡県の西部地区は、小学校の修学旅行は東京、中学校の修学旅行は京都・奈良が、僕の時代の定番だった。

まぁ、昔とは少しずつ変わってきていて、実家に住む中学3年生の姪っ子に聞いたら、彼女たちは石川県と福井県だったらしい。京都に比べたら子どもには渋いなぁと思ったが、茶屋町を歩いたり、兼六園を回ったり、永平寺を訪れたり…と、僕みたいな大人からすると、東京や京都のガヤガヤした場所を巡る修学旅行よりも、きっと記憶に残る旅先だと思った。

なお、僕の個人的な思いとしては、京都というのは静岡からだと家族旅行でもよく行く場所なので、中学の修学旅行は、広島か沖縄で、平和学習を含んだプログラムがいいと思っている。

小学校、中学校は、どこの学校もだいたい似たようなもんだし、他校と繋がりがあるわけでもないので比べることもないのだが、高校になると学校ごとの差が出てくる。

僕の母校である袋井商業高校は、昔も今も卒業生の7割近くが就職する学校だ。そのため、「責任・秩序・礼儀」を校訓に、社会に通用する人間教育を目的とした厳しい校則が敷かれており、地元では「軍隊」と呼ばれていた。そもそも実業科というのは教師の流動性が低いため、平成半ばでありながら、時代にそぐわない昭和的な厳しさが全校に漂っていたのである。

その軍隊的な側面は追い追い話すとして、ここのテーマは修学旅行だ。

最初に話した通り、小中は東京・京都というド定番観光地に行く地域ゆえ、高校の修学旅行は、学校ごとに個性が出る。そして僕らの時代は、飛行機を使った修学旅行も増えてきた頃である。

中学の同級生の集まりで、それぞれの高校の行き先を聞くと、

福岡!

(明太子!←当時の僕の声)

長崎!

(ちゃんぽん!)

沖縄!

(青い海!)

バイトの友達に聞いても、

鹿児島!

(黒豚!)

神戸!

(神戸牛!)

シンガポール!!

(マジ?ってか、どこそれ)

極めつけは、浜松街中の私立校に行った友人で、

ロンドン!!!

(行っーてみたいな、よその国~、ファウ!)

そんな感じに楽しそうな場所がどんどん出てくるのである。

ちなみに、なぜか東北が目的地に入っていないのは、静岡と東京以北の心理的距離の遠さを表していると思う。仙台あたりは、入っていてもおかしくなさそうだが。


【最新ブログ-SUZUKISHO.com】


さて、問題は我々、袋井商業高校だ。

僕たちが修学旅行でどこへ行ったかというと…、

しがこうげん…

だ。小さな声になってしまったので、もう一度言う。

しがこうげん…

一部の方を除いて「え、それどこ?」と思う人がほとんどだろう。

志賀高原

Googleマップで調べると分かるが、それは長野県の国立公園内にある高原である。

そう修学旅行が、なんと隣県だったのだ…。

そこでスキー合宿というのが、我が校の伝統的な修学旅行だった。ただ、隣県とはいえ300キロ以上離れている。でも、それなら余計に長野じゃなくても大阪くらいまで行けるだろうに…と子供ながらに思ったとか思わなかったとか。

他校の子からすると

それって林間学校じゃないの?

というレベルだ。「マジで?」と言われても返せる言葉はなく、

恥ずかしくて人に言えない修学旅行って何だろう

と思っていた。

行く場所も場所だが、スキーというのも修学旅行にそぐわないと感じた。なぜならスキーだと経験者と初心者が強制的に分かれるのだ。修学旅行の醍醐味といえば仲のいい子とのワイガヤな自由行動と決まっている。土産物屋で無駄に時間を潰す。それが楽しいのではないか。

なのに、自由行動どころか、仲のいい奴とも引き離される。たとえ初心者同士で気の合う奴ができたとしても、もうすぐ卒業だから、ほんの何ヶ月かの短い友情だぞ!

そもそも運動オンチの子からしてみたら、修学旅行で3日間体育の授業なんて、もはや罰ゲームでしかなく、不公平感が半端ない。

そんな風にブツブツ文句を溜めながら、本番当日。学校からバスに乗り、志賀高原に降り立つと、

外はまさかの猛吹雪。

それもホテルの人の話によれば、その年で一番の大雪だった。

これはスキーなんかできないっしょ。

その光景は初心者の僕でさえ、明らかにそう分かる荒れようだった。スキー合宿に来てスキーができなかったら、それこそ我々はここに何しに来たのか…、そんな気持ちになったが、全体統括の先生が言った。

せっかく来たので、今日から滑ります。



しばらくして我々は雪降り仕切るゲレンデの上にいた。

雪の上の歩き方から学び、初滑りをしようとしたところで、ますます雪が強くなる。視界は絶壁の上のカーブに立てられた「立ち入り禁止」の標識が見えないくらい真っ白で、前の人がようやく見える程度。まともに滑れないのに一歩間違えたら命を落とす。頭の中はKAT-TUNの「ギリギリでいーつも生きていたいから、アーアー」的なヒリヒリ感であった(当時まだデビューしてないけど)。

そうして3日間のスパルタ教育。初日から吹雪の特訓を受けたため、最終日にはかなり上達して、スイスイ滑れるようにはなった。真っ白な視界の中を滑ったこと以外、細かなことは覚えていないが、ホテルの食事も美味しくて、楽しい旅行だったと記憶している。ただ、修学旅行がスキー合宿だったというのは、大人になった今でも、何か恥ずかしくて自ら進んで言えない。そして、あの怖い体験がスノースポーツの原点になったため、あれ以降、スキーもスノボもやったことがない。多趣味な僕がやらないのだから、相当に威力の強い経験だったのだろう。

なお、伝統のスキー修学旅行だったが、僕らの代が最後の開催となり、翌年からは他校と遜色ない九州旅行になったらしい。一年早く変えてくれてたら、僕の九州初上陸が10年早まっていたのに…。まぁ、神戸も九州も沖縄もシンガポールもロンドンも自力で行った今になってみると、あれはあれで良かったのだと思わなくもないけれど。

そんな母校も来年で創立100周年とのこと。お祝いの気持ちも込めて、ちょくちょくここで袋井商業高校の「軍隊ネタ」を話していきたい。

【about me…】

鈴木 翔

静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済などノンジャンルでありオールジャンル。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。

おすすめ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA