夢や興味を持ったら、他人の声に影響されずにまずはやってみることが大事

そうかな〜、どうかな〜、どんだけ〜

かつて、高校時代のことだ。

ある趣味を始めようかと思った時に親しい友人の言葉に影響されて、やらなかったことがある。



その時、彼は「え、それは君には似合わないからやめた方がいいよ」と言った。当時はその言葉を真に受けてしまったのである。

でも、彼がその趣味に精通していたかといえば全くそうではなく、僕がそれに「似合わない」というのは、個人の狭い見識から来る、まるで根拠のない言葉だった。

まぁ、そんなことを言われても気にせずやるくらいでなければ本当の興味であるとはいえないし、今、それをやらなかったことを深く後悔しているかといわれれば、そんなことはないので、その程度の軽い気持ちだったということだ。一生の後悔にならなかったことは不幸中の幸いだったのである。

それなりに人生経験を積んできた今の視点からすれば、自分に似合うかどうかなんていうのは、時と経験が変えてくれるものだ。そこの水に浸かれば自然と似合う雰囲気に変えてくれる。例えば、ダメな若手だった人も努力と小さな成功体験を積み重ねれば、いずれは頼れる先輩に育ったり、日本では全身ヤンキーファッションだった人も、半年くらいフィンランドあたりで暮らせば、きっとそこそこの北欧スタイルに変わるように。

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大切なのは、自分が「やりたい」と思う気持ちを自分自身が大切にしてあげることだ。やってみたいと思ったら周りの声に左右されずに、まずはやってみる。やってみてダメだったらやめたらいいのだ。やったみた後の後悔はしばらくすれば消えていくが、やりもせずに諦めたことへの後悔は、おそらくいつまでも残る。そして、とりあえず始めてみないことには、何かを掴むチャンスが生まれることもない。

他人からの言葉に話を戻すと、やらなくて後悔した時に「君には似合わない」とか「やめた方がいい」と言った人が、過ぎた時間を取り戻してくれることはない。翻っていえば、後悔した時に「あなたがやらない方がいいと言ったから」と他人に嘆いたところで、やらないと決めたのは結局は自分自身なのだから、相手にしたら言ったことすら忘れて「何だこいつ」くらいの感じで、ただの八つ当たりになってしまう。だから、他人の言葉に依存するほどつまらないことはないと僕は考えている。



なお、上京した後にその彼と会った時。東京に出たこと、そして今の職業について話していたら、今度は「君はもともとそういう方向に行く感じだったもんな」と言われた。

上の経験が理由で、おそらく大半の人から反対を喰らったであろうこの選択は、誰にも相談せずに決めたものであったが、彼は何を根拠に「そういう方向」に行く感じだったと思ったのか、そもそも「そういう方向」とは何なのか、他人が言うこと、そして他者が作り出す自分へのイメージというのは本当に勝手だ。むしろ他人が抱く自分への印象なんて覆す選択をしていく方が人生は楽しい。

つまらない言葉に流されずに、まずはやってみてほしい。

【about me…】

鈴木 翔

静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済などノンジャンルでありオールジャンル。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。

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