尊敬する恩人のいいところを、いっこずつまとって生きていく


最近、ある人との仕事上でのチャットのやり取りで「鈴木くんは優しいですね」と言われた。
強く見える風貌もあり、おそらく僕を知る大半の人がそんな風に僕のことを思っていないだろうが、その人にはそう見えたのだろう。
ただ、そもそもが末っ子気質なので、表面の見え方と違って内面はなるべく周りの空気を汚したくないと思っている性格ではある。
「優しい」という文字を見て、僕の頭に真っ先に浮かぶのは「優次さん」のことだ。
優次と書いて、ゆうじさん。
2人いる母方の伯父のうち、もう10年近く前に60代半ばで早くして亡くなった下の方のおじさんだ。
母方の家系は総じて自己主張強めな人々の集まりなのだが、優次さんはとても穏やかで、名前の通り優しい人だった。
母の実家の裏に工房を構えて木工屋を営み、僕の記憶に染みついているのは作業服姿と酔っ払ってウザ絡みをしてくるダメな姿なのだが、その裏では社交ダンスがプロ並みの腕前で、ピンと背筋の伸びた立居振る舞いに男の色気を持った人だった。
にゃあみゃあ的な少しネコ語混じりの喋り方で、従兄弟の中でも一番のチビだった僕が工房に遊びに行くと、いつでも「お前はまだ幼稚園だっけか?」と聞いてくる。
中学生になっても「幼稚園か?」、高校生になっても「幼稚園か?」、もちろん大学生になっても「幼稚園か?」。その大して面白くないネタを、20年以上にわたって頑なに守ってきた人でもあった。

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この人には一度も怒られたことがなく、大好きなおじさんだったのだが、大人の男性ということで叔母に比べると近寄り難いものがあった。
だから、親戚の集まりの帰りに「お前、今夜はウチに泊まりにくるか?」と聞かれると、意味もなく「いや」と答えて、そこからしばらく、どうしても泊めたい伯父との“攻防戦”が続いたのが懐かしい。
思えば、僕が大学を出てからしばらくモラトリアム状態だった時も、人の将来をあれこれと好き勝手言う人たちの中にあって、この人だけは自分の考えを押し付けずに見守っていてくれた気がする。
ただ、いつもふにゃふにゃな割に、肝心なところではズバッと言う不思議な人であったということも付け加えておく。
そんな優次さんを思い出して、僕のことを「優しい」と言ってくれた人には、
「おじさんの名前が『優次』でクソ優しかった人だから、彼の分だけ、どこかで優しさを忘れてはならないと思って生きているのはある」
と冗談混じりに返しておいた。
ただ、心の中では本気でそう思っている自分がいる。
この歳になって捨てていくものも多いのだけど、その代わりではないが、尊敬する身近な故人の何かをひとつずつまとっていくのは、自分らしさを見失わないためにも大切なことでないかと。
地縁のなかった東京という街に出てきて、いろんな価値観を眼に通す中で、何かに染まりそうになったり、故郷の人から「あいつは変わった」と言われそうな自分もいるけれど、子どもの頃から尊敬してきた人たちの尊敬する部分をひとつずつまとっていけば、きっと自分のアイデンティティはぶれない。それは、ここで一人で生きてきて得た自分なりの悟りみたいなものだ。
そんな僕も今や三人の姪っ子のおじになった。どの子もかわいく、優次さんもこういう眼差しで僕らのことを見ていたのだろうかと、最近よく思うことがある。
旅立った人たちの強さや優しさは、確実に僕の一部になっている。

【about me…】
鈴木 翔
静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済などノンジャンルでありオールジャンル。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。