街の綺麗さが売りの勝どきなのに… 築地大橋の落書きに落胆
小さな違和感も塵も積もれば大きなストレスになる
今日は久しぶりのローカルネタです。
違和感を感じるものは、日々の生活の中で目に触れるだけでストレスになる。
小さなものでも塵も積もれば山となり大きなストレスに変わっていくので、たとえ自分の生活に直接的な害はなくとも不快だと思うものはなるべく目に触れたくない。
例えば、職場で仲良くもない人にやたらと話しかけられたり(おそらく好意を寄せられているのだろう)、最近ではスーパーマーケットでの「袋入りますか?」のやりとりなんかもそうかもしれない。
僕の中でそういう小さな不快なもののひとつに路上の落書きがある。
カラースプレーなんかで壁に暗号みたいな字が書かれているアレである。
昔、実家の近所の小さなトンネルが落書きされた。そのトンネルは僕が通学時に必ず通る道筋にあった。いわゆるFワード的な言葉が崩した文字で書かれていて、とても残念な気持ちになった。おそらく子どもがわからぬよう、地域の有志の大人たちが清掃したのだが、それでも完全に消えることはなかった。たぶん何十年と経つ今でも跡が残っていて、通るたびに不快な記憶を思い出すのである。
最近も乃木坂を通る際に坂の下の目立つところに落書きを見つけて残念な気持ちになった。
全国から乃木坂46ファンも集まる場所だ。そういう場所だから注目を浴びたくて…なのかもしれないが、坂をバックに記念撮影する人にとっても非常に邪魔になる位置に書かれている。記念写真の背後にその文字が入ってしまうとしたら、人々の記憶の中にずっと違和感として存在するものが刻まれていくのだろう。
ついに勝どきにも不快な落書きが…
ここは都心でもそこそこ治安のいい勝どきだ。駅前の路上にピカピカの自転車を鍵をかけずに置いておいても一日たっても盗まれないような安全な街である。雑多なものが集まる(それがいいところでもある)六本木や渋谷、中央線沿いの街などとは大きく環境が違う。
住民の層も若いファミリー層などが多く、街も綺麗に保たれているわけだが、その勝どきにもついにこんな落書きを見つけ、落胆してしまった。
場所は3年前の環状2号線暫定開通で使用が開始された築地大橋の西側歩行者通路に設けられた欄干だ。まだ、できてから大して年数の経たないピッカピカの橋である。
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欄干とはいっても、橋上へ上がる自転車用レーンを上ってすぐのところに書かれているので、自転車の僕だと必ず目に入る位置。ここは毎日のように使う道なのだが、これから通るたび、これを目にしなければならない。これだけでこの道を通りたくないと思ってしまうのが正直なところだ。
ストリートアートというと今ではバンクシーを思い浮かべる人が多いかもしれない。同時にバンクシーみたいなアーティストが評価されているからこそ、ストリートアートと落書きを混同して捉えている人も多いかもしれない。偶然にも最近、お仕事でバンクシー展を鑑賞させてもらったばかりだ。
そこでの感想も交えていうと、バンクシーというのは普通に平面にグラフィックアートを描かせても一級品で、彼が神出鬼没的に世界各地に残すステンシルアートなどはバンクシーを知らないような人々をも唸らせる風刺やメッセージ性がある。
サブカルチャーが権威あるところで輝くには、正統なカルチャーを大きく上回るパワーと独自の感性が必要になる。バンクシーの作品にはそれだけのパワーと社会に対する示唆がある。それと比べてスプレーでバーっと書かれた暗号みたいな落書きは、どこかで見たようなものばかりで何も知らない僕に訴えかけるものがまるでない。少なくとも僕の中ではアートではないと言い切れる。
一度書かれたものは簡単には落とせない。それと同時に5年ほど住んで愛着を抱いているこの街も、いつまでも綺麗なままではないのかなと一抹の不安を感じてしまった。
【about me…】
鈴木 翔
静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済などノンジャンルでありオールジャンル。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。