「左利きの日」で思い出した、僕と左利きと祖母の記憶

今日8月13日は「国際左利きの日」だそうだ。

僕、ほかでもない左利き。いや、正確に言うと小学校1年の時に書くのだけは右に直された(直された、という表現自体が右利きに屈服しているみたいで好きではないが)ので、書くのは右、食べるのは左、あとは体が勝手に決めるという「両利き」である。自覚しているのは、スポーツのように力を使う時は左で、器用さを求める時は右を自然と使っている気がする。

ちなみに「両利き」ってあんまり使わない言葉だけど、英語では「Ambidextrous」という固有の単語があるらしい。アンビデクストロウズ?…倭人の僕には何で読むのか分からないが、アストロノーツとかアストラゼネカみたいでカッコいいな。笑

さて、今朝はそんなことをTwitterでつぶやいていたのだが、レスをくれたフォロワーさんとやりとりしながら、左利きにまつわる古い思い出が蘇ってきた。

今日はその話を書き留めておきたい。



実は今年の春、母方の祖母を亡くした。歳はたしか九十四だったか。

帰省自粛のこういう状況だから、もちろん葬儀に参列することは叶わなかった。

そう話すと多くの人は「最期のお別れができなくて残念だったね」と思うかもしれないが、実際にそういう立場を経験してみると、お別れができなかったことよりも故人を失った悲しみとか故人との思い出なんかを親族と共有できないことの方がよっぽどつらい。故郷から遠く離れた部屋で、ただただ独りで悲しさを噛み締めるしかなく、想いの行きどころがないのである。

「そうずら~」と古い遠州弁丸出しで、手ぬぐいを頭に巻いた姿が鮮明な記憶に残る婆ちゃん。

一本気で頑固だった爺さんを立てて、いつでもどこでも二人一緒だった婆ちゃん。

一度も怒ったことがなく人の悪口も言わない、優しさの固まりでしかなかった婆ちゃん。

たぶん僕の中の優しさとか人情の部分は、この人からの影響で構成されている部分が大きい。

僕が上京したこともあり、八十歳を越えてからは会えていなかった。いや、爺さんを亡くして痴呆が始まってからは親族の名前も混在していたみたいで、名前を間違えられるのが怖くて会いに行けなかったというのが正直なところかもしれない。

そんな祖母とは、こんな思い出がある。

僕が小学生だった当時、うちは飲食業をしていて、週末になると母の実家から祖母が手伝いに来てくれていた。高学年の兄と姉は家に放っておけたけど、幼い僕だけは土曜日の学校が終わると、そのまま店に来て、裏の倉庫みたいなスペースで過ごしていた。

親は僕なんかにかまっていられる様子ではないので、昼ごはんはいつも祖母と一緒。祖母が足も伸ばせないような本当に狭いスペースだったので、祖母の膝の中が当時の僕の定位置だった。そして僕が箸を取るたび、いつも僕の“ギッチョ”を直そうとした。僕は字を書く利き手の方は学校で右に直されたけれど、食べる利き手の方は家でも何も言われていなかったので、そんなこと言われてもまったく聞く気はない。すると祖母はこんなことを言う。

「お箸を持つの、右に直してくれたらおこづかいあげるんだけどなぁ」

いわゆる「ニンジン作戦」である、笑。現金に弱いのは大人も子供も変わらない。すぐさま箸を右手に持ち替えて、ぎこちない動きでおかずを持ち上げる自分がいた。そして食べ終わったらご褒美の1000円をゲット。その“大金”を握りしめて近所の駄菓子屋に駆け出していたのを思い出す。思えば、右手でご飯を食べるだけで1000円…、もしかしたら今までの人生の中で最も割のいいビジネスだったかもしれない。

でも、祖母との約束は長くは果たされることなく、次に会う時には僕の利き手は普通に左に戻っている。するとまた「右に直してくれたら…」と作戦を展開してくる祖母。僕が店に来なくてもよくなるまで、ずっとその繰り返しで随分と貯金を貯めさせていただいた。

さっき「思い出を親族と共有できないことが辛い」みたいに書いたけど、あの狭い部屋で二人きりで過ごした時間は他の人にはない特別な思い出だ。きっとずっと、あの時の膝の中の温もりを忘れることはないだろう。

祖母のがんばり甲斐もなく、食事をする時は今でも左利き。もしも祖母がドロンと現れて、また「右利きに直したら1000円あげるに」と言ってくれるなら、喜んで今すぐ箸を右に持ちかえるのだが…。おわり


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