日本橋高島屋で「生誕120周年 杉原千畝展 命のビザに刻まれた想い」を見てきました

最近は長い話になりがちなので、今日は軽い内容に収めたい。

おととい、今月4日から日本橋の日本橋高島屋で開催されている「生誕120周年 杉原千畝展 命のビザに刻まれた想い」を鑑賞してきた。もとから気になる展覧会だった上、新橋のチケットショップを散策していたらご招待券が格安で売られていたので、まさに渡りに船的な幸運だった。

会場は日本橋高島屋本館の8階ホール。場内の撮影はNGということだったので、頭の中に残っている記憶から言葉だけで感想を述べていく。



杉原千畝(1900-1986)については伝記上の人物として有名なので簡単な説明でいいだろう。第2次世界大戦時、日本の外交官としてリトアニアの領事館に領事代理として赴任し、ナチス・ドイツの迫害から逃れようとするユダヤ系難民に「命のビザ」を発行。彼らが日本を経由して各国へ逃れる機会を作ったことから「東洋のシンドラー」と呼ばれた偉人である。その足跡は2015年に唐沢寿明主演で映画にもなった。

僕は杉原千畝という人物の名前こそ知っているが、その生涯には詳しくない。あるのは「命のビザを発給した外交官」というごく普通の人程度の知識だ。

展示は主に外務省が所蔵する資料などと杉原の在りし日を伝える写真によって構成されている。その中には今回が初公開という、ユダヤ系難民の子孫が所有している「命のビザ」の実物展示もある。

冒頭にはまず、杉原が発行した「命のビザ」のリストがパネルで展示されている。1940年の8月、リトアニアを占領したソ連から領事館の退去を命じられ、かたやナチス・ドイツの侵攻が迫るさなか、命の危機が迫るユダヤ系難民たちに杉原が発行した通過ビザは約1か月で2139通にのぼる。それは日本の外務省の方針に逆らう行為だった。

そこからは杉原の生い立ち、官費留学生として当時満州国だったハルピンへ渡った時代など若き日々に関する展示が続き、1939年に赴任したリトアニア領事館時代についての展示に辿り着く。それまで日本領事館がなかったリトアニアに領事代理として赴任した杉原の最初の仕事は領事館を作ることから始まった。リトアニアは現在のポーランドとロシアの間にあるバルト三国の一国で、当時、ソ連をはじめとするヨーロッパの情勢を知る上でうってつけの位置にあった。そしてそれから一年が経ち、翌年の7月に入ると日本への通過ビザを求めるユダヤ系難民が領事館の前に殺到する。

【合わせて読みたい】ホロコーストと旅のお話《アウシュビッツ強制収容所にて》

展示では「日本を経由した先の国のビザを持つもの以外に通過ビザを出してはならない」という外務省と、日本政府に人道的な配慮を求めたい杉原との激しいやり取りの跡を実際の内部文書を並べながら時系列で紹介されていた。

場内には杉原の執務室の再現展示もあった。そして唯一暗室になった小部屋ではユダヤ系難民の人々に発給された命のビザの実物が展示されていた。遺族などが保管するそれらは本展で初めて公開されるものらしい。リトアニア・カウナスの日本領事館に人々が殺到した当時、他国の公館は既にリトアニアから撤退しており、ユダヤ系難民が頼ることができたのは日本領事館しかなかった。外務省の指示に反して独断でビザの発給を決めた杉原は「ペルソナノングラータ(外交官として滞在を好まざる人物)」として自身にもソ連から退去の命令が出る中で1ヶ月間ビザを書き続けた。パスポート以外の紙切れにもビザを書いたという。ユダヤ系難民はリトアニアに入国後、ソ連を鉄道で横断してウラジオストクに到着。そこから福井県の敦賀港、神戸へと渡り、そこからアメリカやオーストラリア、現在のイスラエルなど各地へと渡っていった。彼らの中には後に実業の世界等で名を挙げた人物もいて、展示にはビザとともに彼らの杉原に対するメッセージが添えられていた。

そこからの展示ではドイツやルーマニアでの勤務を経て、終戦後、日本に帰国した後の杉原の“その後”やユダヤ系難民が他国へ逃れるまでに奮闘したその他の人々についての紹介があった。帰国後、杉原は外交官の職を失い、その後は貿易会社などに勤めた。外交官として20年近く勤めた男がその職を奪われるというのは、どんなに葛藤があったことだろうか。そして、自らが行ったことを誇らず、「人として当たり前のことをした」と思っていた彼の功績が大きく認められたのは戦後30年近くが経った後。ビザを発給した一人で、その後イスラエルの宗教大臣になった人物と再開し、同国から勲章を受けてからのことだった。展示の終盤では、そうした勲章に関するものや晩年の杉原の愛用品なども見られる。

最後には、“杉原ビザ”によって救われた人物やその子孫たちのメッセージが動画で公開されている。ビザを発給された人物はもちろん、その子どもたちも杉原の勇気ある行動が無ければ、その命が繋がれることはなかったかもしれないと思うと熱いものが込み上げてきた。

今年も鎮魂の日を迎える時期。世界が戦火に包まれる中、遠く離れたヨーロッパにこうした正義の心で動いた日本人の活躍があったことを知るには良い機会だろう。記憶だけでざっと書いたが、まだ1週間ほど開催されているので興味がある方はぜひ現地で鑑賞して欲しい。

展覧会の開催概要はこちら。


おすすめ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA