日高屋「ダブル餃子定食」の配膳についてひとこと物申したい
昔から今までずっと超庶民なのに、子供の頃は餃子のことがあまり好きではなかった。あの皮に包まれた感じがご飯のおかずにならないと思っていたから。母親の得意料理なので餃子の日はテーブルいっぱいに餃子が並んだが、それを嬉しいとは思わなかった。結局、18歳で実家を出るまで好きになることはなかった。
餃子への印象が変わったのは、やはり一人暮らしを始めてから。家族から離れて一人で暮らすようになると、好きなものばかり食べられるようで実際には好き嫌いが言えなくなる。毎日同じようなものばかり食べるわけにもいかないので、少し苦手だったものにも手を出すようになる。そして、家を出るまで毎日食事を作ってくれた親へのありがたみを感じるし、自炊中心の生活だと外食でも惣菜でも人が作ってくれるものが何でもおいしく感じられるようになる。
そんな中、自炊でいろんな料理にチャレンジしながら、自分で餃子を作るようになって餃子を見直すことになった(←餃子に対してやや偉そうな言い方ですが)。餡は冷蔵庫の余り物で足りるけど、市販の皮はちょっと高いので皮から手作りすることもある。
でも、餃子って作る時間や材料費を考えると、一人分くらいの量だったら外で食べた方が割安な食べ物のひとつでもある。よって、最近では外で食べることが増えた。
配膳のフォーメーション、それでOK?
チェーン店では昔住んでいた中野にあった「ぎょうざの満州」が好き。でも、今住んでいる山手線の東側には満州がないので、だいたい王将か日高屋に行く。どちらかというと、最近はご飯大盛りのクーポンがエンドレスでもらえる日高屋に行くことが多い。
日高屋では潔くダブル餃子定食一択。最近はバジル餃子なるものとのミックス定食もあって一度試したことがあるが、やはりスタンダードな餃子がいい。ちょっと前の厚くてモチモチっとした皮の頃の方が個性があったし、セットで付いてくる唐揚げも唐揚げというよりフリッターみたいでもう少し何とかならないものかと思うが、700円以下で必ず満腹になれるので文句も言えない。
【最新ブログ-SUZUKISHO.com】
- 高級傘の所有はNG⁉︎ 風の埋立地・カチドニアこと東京・勝どき
- 銀座でドン引きしてしまったインバウンドの驚愕モラルハザード
- ガチの静岡県民がきっと知らない? 静岡県人あるある
- 【なぜだ⁉】オリジン弁当に寄ったアルフィーのできこと
- LOOPとかドコモの赤い自転車とか、シェアモビリティに対して思うこと
それよりもいつも気になってしまうのは、運ばれてくる時の配膳のことだ。これは実際の様子を見てもらうのが早い。
う〜ん、何かおかしくない?
というか、タレ用の小皿が後ろにあったらタレをつけるのに手を伸ばさないといけないし、このままじゃほぼ絶対に食事できないよね?
これ、最初は人為的なミスかと思ったけれど、何度来てもこういう並びだし、他の店舗でも同じような感じだったので、日高屋ではこれがデフォルトとして教えられているようだ。
調理上の都合なのか、客席に運ぶ都合なのか理由は分からないけど、本来なら正しい並びはこんな感じだと思う。
なお、僕は左利きなので、ご飯とスープの位置が逆になっているのはご容赦を。
細かなことかもしれないけど、食事が運ばれてきて、そのままスムーズに食べられないってちょっとしたストレスだったりする。チェーン店にどこまでを求めるかというのもあるが、配膳の美しさというのも日本人の美意識のひとつだと思う。
もちろん日高屋様にはいつもお世話になっているので不満はございません。この金額でこれだけのものが食べられて感謝感謝です。野菜たっぷりタンメンも大好きです。きっと、お盆にのせられてきたものをそのままの状態で食べようという僕の方が無礼なのです。自分が食べやすいようにコソコソと並び替えさせていただきます。
でも、できたら、ちょっとだけオペレーション見直してほしい…とも思うけど、皆さんはどう思います?
【about me…】
鈴木 翔
静岡県生まれ。東京都中央区在住。出版社や編プロに務めた後に独立。旅好きでこれまでに取材含めて40カ国以上に渡航歴あり。国際問題からサブカルまで幅広く守備範囲にしています。現在は雑誌、実用書などの紙媒体での編集・執筆だけでなく、WEBライターとしても様々な媒体に関わっています。ジャンルは、旅、交通、おでかけ、エンタメ、芸術、ビジネス、経済などノンジャンルでありオールジャンル。これまでの経験から「わかりにくいものでもわかりやすく」伝えることがモットーです。